日刊言の葉・Vol.15「モノはいらない?」
最近、ミニマリストという言葉が一部で流行しています。簡単に言えば、必要最低限しかモノを持たない生き方のことですね。
このミニマリストに憧れる人が一定数いるということは何を映し出しているのか。その一つの回答を今回は紹介します。
このミニマリストに憧れる人が一定数いるということは何を映し出しているのか。その一つの回答を今回は紹介します。
いわば、消費をめぐる選択が生き方を映し出し、モノに代わってライフスタイルを消費する時代が訪れているのです。
(朝日新聞 2015/12/15 17面 オピニオン 「持たない生き方」 談・菅付雅信より)
私なりにもう少し補正すると、モノのように固定化し、恒久的なものに価値を感じるのではなく、その場でしか感じられない経験や体験といった希少性に強く価値を感じるように変化しつつあるというところです。
ゆえに、何でもかんでも捨てているというよりは「固定力」のあるものを捨てているのです。
普通のモノには固定力があります。なのでずっとそこにいてくれます。ずっとそこにあるのでいざというときに安心ですし、そこにあるということだけでも安心を得ることができるのです。私たちはそういうずっとあるものを貯めるのが豊かさへの道だと思ってきました。そしてその貯めた量が社会的地位を決める大きな要素になってきていたんですね。
例えば、男女が結婚しようとするのもこの理屈で説明できます。結婚という制度に自分たちの関係をあてはめることで、その関係を固定化し、安心を得たいのです。
ところが、モノが多くなってくると自分たちの生活がモノに規定されるようになります。そのモノを獲得し、維持するために別のところでコストを支払う必要が出てくるので、そのコストを支払えるように生活を送ることになります。そうすると、どうにも不自由を感じるようになる人が出てきます。
結婚を例にすると生々しくなるので(笑)、本にしましょう。本をたくさん買うとそれだけ本が溜まります。それを見ると、「たくさん読んできたなあ」と感慨にふけったり、本にまつわる思い出を頭に思い浮かべたりします。それはそれでいいのですが、量が多くなってくると本棚が必要になります。そして部屋のスペースも。ある程度になったら売るよという人もいるかもしれませんが、その売るための労力もコストです。結果的に、本に生活の一部を支配されることになって不自由を覚えるようになるというわけです。
こういう人々は、モノではない別のものに価値を感じるようになります。それが自由であり、自由であるがゆえに発生する非固定的で刹那的な価値です。安心と自由は基本的に両立しないので、安心は減って不安が増えますが、同時に別の価値を感じるようになるのですね。
そういうものの代表格がライフスタイルというか、自分の気持ちですね。同じ記事の中に「消費は投票だ」という文も出てきます。同じものを買うにしても、Aというお店で買うのか、Bというお店で買うのかによってその人のスタンスが反映され、そのスタンスもといスタイルを使うことによって「私はこっちのお店の方がいいわ」という投票をしていることになるわけです。このスタイルの消費によって、自分の中では価値ある感情を味わえるという構図ですね。
私自身はモノがあまり捨てられないたちでして、固定力に支配されてますが、モノがあふれている現代社会ではこういう考え方の人も増えていくでしょう。また、個人で何かをする場合はこちらでアプローチしたほうが、いい結果が出るだろうと思われます。
その商品でどんな気持ちにさせることができるかが今後のビジネスではカギを握るのではないでしょうか。
ゆえに、何でもかんでも捨てているというよりは「固定力」のあるものを捨てているのです。
普通のモノには固定力があります。なのでずっとそこにいてくれます。ずっとそこにあるのでいざというときに安心ですし、そこにあるということだけでも安心を得ることができるのです。私たちはそういうずっとあるものを貯めるのが豊かさへの道だと思ってきました。そしてその貯めた量が社会的地位を決める大きな要素になってきていたんですね。
例えば、男女が結婚しようとするのもこの理屈で説明できます。結婚という制度に自分たちの関係をあてはめることで、その関係を固定化し、安心を得たいのです。
ところが、モノが多くなってくると自分たちの生活がモノに規定されるようになります。そのモノを獲得し、維持するために別のところでコストを支払う必要が出てくるので、そのコストを支払えるように生活を送ることになります。そうすると、どうにも不自由を感じるようになる人が出てきます。
結婚を例にすると生々しくなるので(笑)、本にしましょう。本をたくさん買うとそれだけ本が溜まります。それを見ると、「たくさん読んできたなあ」と感慨にふけったり、本にまつわる思い出を頭に思い浮かべたりします。それはそれでいいのですが、量が多くなってくると本棚が必要になります。そして部屋のスペースも。ある程度になったら売るよという人もいるかもしれませんが、その売るための労力もコストです。結果的に、本に生活の一部を支配されることになって不自由を覚えるようになるというわけです。
こういう人々は、モノではない別のものに価値を感じるようになります。それが自由であり、自由であるがゆえに発生する非固定的で刹那的な価値です。安心と自由は基本的に両立しないので、安心は減って不安が増えますが、同時に別の価値を感じるようになるのですね。
そういうものの代表格がライフスタイルというか、自分の気持ちですね。同じ記事の中に「消費は投票だ」という文も出てきます。同じものを買うにしても、Aというお店で買うのか、Bというお店で買うのかによってその人のスタンスが反映され、そのスタンスもといスタイルを使うことによって「私はこっちのお店の方がいいわ」という投票をしていることになるわけです。このスタイルの消費によって、自分の中では価値ある感情を味わえるという構図ですね。
私自身はモノがあまり捨てられないたちでして、固定力に支配されてますが、モノがあふれている現代社会ではこういう考え方の人も増えていくでしょう。また、個人で何かをする場合はこちらでアプローチしたほうが、いい結果が出るだろうと思われます。
その商品でどんな気持ちにさせることができるかが今後のビジネスではカギを握るのではないでしょうか。