自分の力を発揮するためならどこまででも逃げろ
<日刊幸せへのヒント・2017年8月27日>
夏休み明けのこの時期は、学生の自殺が多い時期です。
学校に行っていない子が「行かなければ」と思い、「でも行けない」となったりする中で、思いが重なりすぎて自殺という道を選ぶことが増えてしまうのですね。
これは「休み」への大義名分が失われるからです。
そういう中で何年か前に「図書館においで」というツイートが反響を呼んだことがありました。それをとりあげた新聞記事に改めてフォーカスが当たっていたので、それについて考えてみます。
元にしたツイートは以下のもの。
学校に行っていない子が「行かなければ」と思い、「でも行けない」となったりする中で、思いが重なりすぎて自殺という道を選ぶことが増えてしまうのですね。
これは「休み」への大義名分が失われるからです。
そういう中で何年か前に「図書館においで」というツイートが反響を呼んだことがありました。それをとりあげた新聞記事に改めてフォーカスが当たっていたので、それについて考えてみます。
元にしたツイートは以下のもの。
40歳おっさん記者、かつて不登校でした。不登校は当時6万人ぐらい。大人になれば誰しもぼちぼち生きています。学校行っても行かなくても人生はいろいろ大変で。だから知ってほしい。人が成長する場所は学校だけではない。(記事ぱちりツイートはやめてほしい派ですがこの記事だけはいいことに…) pic.twitter.com/Yij7PjOMKJ
— 太田 泉生(朝日新聞横浜総局) (@otaminao) 2017年8月24日
○私たちは何のために生きているのか?
この問いは「内向的な性格」の人ほどよく考えてしまう問いです。私も思いっきり内向的な人間なのでやはり考えることがあります。
私は「個人主義者」ですので、「個人主義」の立場からこの答えを考えます。
こういう社会思想にはいくつか種類があって、どれを採用するかで答えは変わってきます。例えば、ハーバード大学の白熱教室で話題になったサンデル教授は「コミュニタリアニズム」(共同体主義)の代表的な論者です。興味がある方は勉強してみてください(こんなことを書きつつ私はあまり詳しくありません 笑)
「個人主義」というと、「わがまま」だとか言われたりしますが、私から言わせればそれは「利己主義」であり個人主義とは根本的に異なっていると思っています。
私が考える「個人主義」とは、「自分の力を最大限に発揮して、他者と協力<連帯>しながら生活していくこと」です。その他者との協力の基盤にあるのは社会であり、公共です。だから、個人主義者ですが私は公共や社会も必要だと思っています。でもそれは、あくまで「各個人の力を最大限発揮させるため」であり、それ以外の目的で社会や公共を使うことには強く反発心を覚えます。この辺は保守の人と重なるところもあれば、ぶつかるところでもあります。
個人の人格を守り、個性を尊重しろと少なくとも私が唱えるのは「その人の力を最大限発揮させるため」です。個人を抑圧しておいて、個性を発揮させるなんて無理もいいところです。
だから、何のために生きているのかという問いには「自分が救える誰かを救うためだ」と答えます。
「力の発揮」から「誰かを救う」では何だか飛躍している感じがあるでしょうか。もう少し分かりやすく考えてみましょう。
この問いは「内向的な性格」の人ほどよく考えてしまう問いです。私も思いっきり内向的な人間なのでやはり考えることがあります。
私は「個人主義者」ですので、「個人主義」の立場からこの答えを考えます。
こういう社会思想にはいくつか種類があって、どれを採用するかで答えは変わってきます。例えば、ハーバード大学の白熱教室で話題になったサンデル教授は「コミュニタリアニズム」(共同体主義)の代表的な論者です。興味がある方は勉強してみてください(こんなことを書きつつ私はあまり詳しくありません 笑)
「個人主義」というと、「わがまま」だとか言われたりしますが、私から言わせればそれは「利己主義」であり個人主義とは根本的に異なっていると思っています。
私が考える「個人主義」とは、「自分の力を最大限に発揮して、他者と協力<連帯>しながら生活していくこと」です。その他者との協力の基盤にあるのは社会であり、公共です。だから、個人主義者ですが私は公共や社会も必要だと思っています。でもそれは、あくまで「各個人の力を最大限発揮させるため」であり、それ以外の目的で社会や公共を使うことには強く反発心を覚えます。この辺は保守の人と重なるところもあれば、ぶつかるところでもあります。
個人の人格を守り、個性を尊重しろと少なくとも私が唱えるのは「その人の力を最大限発揮させるため」です。個人を抑圧しておいて、個性を発揮させるなんて無理もいいところです。
だから、何のために生きているのかという問いには「自分が救える誰かを救うためだ」と答えます。
「力の発揮」から「誰かを救う」では何だか飛躍している感じがあるでしょうか。もう少し分かりやすく考えてみましょう。
○力の発揮とは誰かの補完である
補完とかいうと、エヴァの「人類補完計画」を思い出しますが、特に関係ありません(笑)
えっと、どういう目的で自分の力を発揮するのかという話なのですが、実はとてもシンプルです。
「誰かにとっては嫌だけど、自分は全然嫌じゃないことをやってあげる」
これだけです。
この「やってあげる」が力の発揮にあたります。
人より並外れて出来なきゃいけないとかそういうことは別に条件ではありません。困っている相手よりも出来ればそれでいいのです。
正確に言えば、やってあげているうちにどんどんその力は高まっていきます。そうすると知らぬ間に人よりずっとできるようになっています。そうしたらやってあげられる対象者が増えますよね?
ビジネスの本質もここにあるんですが、それはまた別のお話で。
この誰かの不足を補うことを「補完」と私は言っています。堅い言葉が好きなんです。
この「補完」は、自動的にその対象者を「救って」いますよね。
だから、「力の発揮」は「誰かを救う」のです。
でも注意しなければいけないことがあります。この世界では「誰かを救う」ことは美徳とされ、称賛されます。でも、これはあくまで「自分の力を最大限発揮する範囲」であり、それを超えることはしなくてもいいです。むしろしないでください。
「なんか違和感がある」と思ったら、その行為から一度距離を置くようにしてくださいね。
補完とかいうと、エヴァの「人類補完計画」を思い出しますが、特に関係ありません(笑)
えっと、どういう目的で自分の力を発揮するのかという話なのですが、実はとてもシンプルです。
「誰かにとっては嫌だけど、自分は全然嫌じゃないことをやってあげる」
これだけです。
この「やってあげる」が力の発揮にあたります。
人より並外れて出来なきゃいけないとかそういうことは別に条件ではありません。困っている相手よりも出来ればそれでいいのです。
正確に言えば、やってあげているうちにどんどんその力は高まっていきます。そうすると知らぬ間に人よりずっとできるようになっています。そうしたらやってあげられる対象者が増えますよね?
ビジネスの本質もここにあるんですが、それはまた別のお話で。
この誰かの不足を補うことを「補完」と私は言っています。堅い言葉が好きなんです。
この「補完」は、自動的にその対象者を「救って」いますよね。
だから、「力の発揮」は「誰かを救う」のです。
でも注意しなければいけないことがあります。この世界では「誰かを救う」ことは美徳とされ、称賛されます。でも、これはあくまで「自分の力を最大限発揮する範囲」であり、それを超えることはしなくてもいいです。むしろしないでください。
「なんか違和感がある」と思ったら、その行為から一度距離を置くようにしてくださいね。
○力の発揮には適切な環境が必要
各個人が自分の力を最大限に発揮して、誰かを救っていく連鎖を起こすには「適切な環境」が必要です。
その環境とは各個人の人格・個性が尊重されていることです。力に本来優劣はありません。不足者にとって保持者はいつでも優れて見えますから。でも、残念ながら多くの社会では力に最初から評価をつけて優劣を押し付けています。
そうすると劣等感が生まれて、自分がダメに思えるわけです。その状態で「あなたには力がある」と私がいくら言ったって、やっぱり響かないと思います。
さっき書きましたよね。自分の力を最大限に発揮するには「人格・個性が尊重されている」ことが必要だと。これを最も必要とするのは「自分に対して」です。
自分で自分の人格や個性を尊重できていなければ、自分の持っている力が誰かを救うものだとも気づけません。人から言われても「そんなわけないだろ」と突っぱねてしまいます。
各個人が自分の力を最大限に発揮して、誰かを救っていく連鎖を起こすには「適切な環境」が必要です。
その環境とは各個人の人格・個性が尊重されていることです。力に本来優劣はありません。不足者にとって保持者はいつでも優れて見えますから。でも、残念ながら多くの社会では力に最初から評価をつけて優劣を押し付けています。
そうすると劣等感が生まれて、自分がダメに思えるわけです。その状態で「あなたには力がある」と私がいくら言ったって、やっぱり響かないと思います。
さっき書きましたよね。自分の力を最大限に発揮するには「人格・個性が尊重されている」ことが必要だと。これを最も必要とするのは「自分に対して」です。
自分で自分の人格や個性を尊重できていなければ、自分の持っている力が誰かを救うものだとも気づけません。人から言われても「そんなわけないだろ」と突っぱねてしまいます。
○環境を整えるために逃げろ!
自分で自分を大切に思えない時期は誰にだってあります。私も偉そうに書いてますがよくあります。
そういうときは、価値判断から自由になるために社会から距離を置くことが必要です。「生きてるだけで丸儲け」と思えるぐらいまで逃げて逃げて逃げまくってください。「自分には価値があるんだ」と最初ははったりでもいいから信じて下さい。朝起きれたら、「よく起きたじゃん」と自分で自分をほめてください。
そうやって逃げて逃げて、「適切な環境」を手に入れられたら、あなたは絶対に社会に不可欠な人間になれています。誰かを救える人間になれています。
だから、それまではどうか逃げてください。逃げ方は自由です。ツイートにあるように図書館に逃げるもよし、部屋にこもるもよし(ただし、ネットなど価値判断が強く働く場所には触れないでください。意味がありません)。とにかく自分の価値判断だけで過ごせる場所を確保してください。
他者の価値判断から逃れて、自分の価値判断を尊重できるようになれば、自分の持つ力の価値に気づけるので誰かを救えるようになります。
自分で自分を大切に思えない時期は誰にだってあります。私も偉そうに書いてますがよくあります。
そういうときは、価値判断から自由になるために社会から距離を置くことが必要です。「生きてるだけで丸儲け」と思えるぐらいまで逃げて逃げて逃げまくってください。「自分には価値があるんだ」と最初ははったりでもいいから信じて下さい。朝起きれたら、「よく起きたじゃん」と自分で自分をほめてください。
そうやって逃げて逃げて、「適切な環境」を手に入れられたら、あなたは絶対に社会に不可欠な人間になれています。誰かを救える人間になれています。
だから、それまではどうか逃げてください。逃げ方は自由です。ツイートにあるように図書館に逃げるもよし、部屋にこもるもよし(ただし、ネットなど価値判断が強く働く場所には触れないでください。意味がありません)。とにかく自分の価値判断だけで過ごせる場所を確保してください。
他者の価値判断から逃れて、自分の価値判断を尊重できるようになれば、自分の持つ力の価値に気づけるので誰かを救えるようになります。
○私はど変人
私のように大学を出てからそのままフリーランスやっているような変人もいますから、大丈夫ですよ(笑)
死にはしません。
もちろん、上手くいっているとは言い難いので、「ずーん……」となることも多いですが、やっていなければ会わなかったであろういい人たちに会えたりもしていて、この選択はきっと間違いではなかったと「信じて」います。
私のように大学を出てからそのままフリーランスやっているような変人もいますから、大丈夫ですよ(笑)
死にはしません。
もちろん、上手くいっているとは言い難いので、「ずーん……」となることも多いですが、やっていなければ会わなかったであろういい人たちに会えたりもしていて、この選択はきっと間違いではなかったと「信じて」います。