これからは自分を売る時代になっていく
音楽業界では前から「CDが売れなくなった」と言われていますよね。実際、CDの売り上げ数は減っています。
では、みんなが音楽を聞かなくなったのか? といえばそんなこともなく、ライブへの来場者数は増えています。ということは何らかのかたちで音楽は聞いているということです(一回も聞いたことが無いミュージシャンのライブにはなかなか行かないですよね)。
どこで?
それは「スマホ」ででしょう。
たいていの曲はアップルで買えてしまいますし、その方が安いですからね。CDのレンタルとかもあるでしょうか。
わざわざCDを買うのは「特典目当て」か「コレクション的要素」を持つ人になってくると思います。その人たちですら、CDプレイヤーで音楽を聞いている人は多くないでしょう。
この業界としては困った現象が表しているのは、「作品(情報)の価値の低下」です。
ネットの普及などで作品に触れる時間が増え、そのハードルも下がってくると、いわゆるインフレになって作品1つあたりの価値が下がっていくのです。音楽さえなんか聞ければいいなら、わざわざCDを買わなくても済むような時代になっているのですね(サービスによっては勝手に選曲してくれる機能とかありますし)。
そうすると自然と値段も下がってきますが、CDには物理的コストがあるので値下げにも限界があり、結局より安く提供できるデジタルに消費のメインは移行していきます。
こんな現象がこれからいたるところで起きてくる、いやすでにもう起きています。そんな中、どうやって利益を確保していくのか。今回はそんなお話。きっかけにしたのは以下の記事です。
では、みんなが音楽を聞かなくなったのか? といえばそんなこともなく、ライブへの来場者数は増えています。ということは何らかのかたちで音楽は聞いているということです(一回も聞いたことが無いミュージシャンのライブにはなかなか行かないですよね)。
どこで?
それは「スマホ」ででしょう。
たいていの曲はアップルで買えてしまいますし、その方が安いですからね。CDのレンタルとかもあるでしょうか。
わざわざCDを買うのは「特典目当て」か「コレクション的要素」を持つ人になってくると思います。その人たちですら、CDプレイヤーで音楽を聞いている人は多くないでしょう。
この業界としては困った現象が表しているのは、「作品(情報)の価値の低下」です。
ネットの普及などで作品に触れる時間が増え、そのハードルも下がってくると、いわゆるインフレになって作品1つあたりの価値が下がっていくのです。音楽さえなんか聞ければいいなら、わざわざCDを買わなくても済むような時代になっているのですね(サービスによっては勝手に選曲してくれる機能とかありますし)。
そうすると自然と値段も下がってきますが、CDには物理的コストがあるので値下げにも限界があり、結局より安く提供できるデジタルに消費のメインは移行していきます。
こんな現象がこれからいたるところで起きてくる、いやすでにもう起きています。そんな中、どうやって利益を確保していくのか。今回はそんなお話。きっかけにしたのは以下の記事です。
○デジタルはインフレを引き起こす
記事自体は電子書籍を話の軸にしてるんですが、最終的に電子書籍はあんまり関係なくなってました(笑)
重要なこととしては、「デジタル社会」は「時間」の影響を消すということです。
一般的に、物質は劣化しますからその分価値が下がっていきますよね。また、物質はスペースをとるので新しいものを入れるためには古いものを捨てていく必要があります。
本の場合は再販制度があり値引き販売ができないので、売れ残った本は返本されます。返本して空いたスペースに新しい本を入れていくわけです。
よって、売れ行きのあまりよくない本はいつか書店の棚からは姿を消してしまいます。
ところがデジタルの場合はスペースの制限が緩く(もちろんゼロではありませんが)、物質的劣化は置いておくだけなら起こりません。
よって、電子書籍の場合は売れ行きの悪い本でも基本的にずっと置きっぱなしにできます。スペースの制限もなくはないでしょうが、通常書店よりもずっと多くの本を置いておけるはずです。
こうすると、小さな売上を逃さなくて済むようになり、長期的な視野でものづくりができるようになるわけです。一時的なバカ売れをするものではなくて、地味だけど確実に少しずつ売れるものをつくれるわけですね。(いわゆるロングテール)
これはクリエイター側としてはありがたい反面、市場全体で見ると作品数が増えることにつながります。新陳代謝が起きないからです。
作品数が増えれば、先ほどのようにインフレが起こって、1作品あたりの価値は下がっていきます。これは多売を必要とすることになります。また、大量の作品の中でどうにかして自分の作品を手に取ってもらわねばいけなくなります。
デジタルの普及はこれをどうするかという問題を新たに引き起こしたわけです。
記事自体は電子書籍を話の軸にしてるんですが、最終的に電子書籍はあんまり関係なくなってました(笑)
重要なこととしては、「デジタル社会」は「時間」の影響を消すということです。
一般的に、物質は劣化しますからその分価値が下がっていきますよね。また、物質はスペースをとるので新しいものを入れるためには古いものを捨てていく必要があります。
本の場合は再販制度があり値引き販売ができないので、売れ残った本は返本されます。返本して空いたスペースに新しい本を入れていくわけです。
よって、売れ行きのあまりよくない本はいつか書店の棚からは姿を消してしまいます。
ところがデジタルの場合はスペースの制限が緩く(もちろんゼロではありませんが)、物質的劣化は置いておくだけなら起こりません。
よって、電子書籍の場合は売れ行きの悪い本でも基本的にずっと置きっぱなしにできます。スペースの制限もなくはないでしょうが、通常書店よりもずっと多くの本を置いておけるはずです。
こうすると、小さな売上を逃さなくて済むようになり、長期的な視野でものづくりができるようになるわけです。一時的なバカ売れをするものではなくて、地味だけど確実に少しずつ売れるものをつくれるわけですね。(いわゆるロングテール)
これはクリエイター側としてはありがたい反面、市場全体で見ると作品数が増えることにつながります。新陳代謝が起きないからです。
作品数が増えれば、先ほどのようにインフレが起こって、1作品あたりの価値は下がっていきます。これは多売を必要とすることになります。また、大量の作品の中でどうにかして自分の作品を手に取ってもらわねばいけなくなります。
デジタルの普及はこれをどうするかという問題を新たに引き起こしたわけです。
○音楽業界は「ライブ」へ
さて、CDが売れなくなった音楽業界はどうしたでしょうか?
まだCDをメインに据えている感じはありますが、ライブを重視する方向に移ってきています。
ライブの本当の意味は「その時にしか味わえない」ということです。
CDあるいはデジタルでは「いつでも聞ける」ですが、ライブは「行かなければ聞けない・見れない」なのです。
これによって音楽業界は価値のインフレから脱却しています。そこでしか得られない体験なので価値が上昇します。ここでならCDを記念として買わせることもできるでしょうし、グッズなども販売できます。
ライブのチケットなんて結構高いですけど、買う人がたくさんいるわけです。これはそれだけの価値があると認めているからですよね。
この現象をもう少し一般化するとどうなるでしょうか?
さて、CDが売れなくなった音楽業界はどうしたでしょうか?
まだCDをメインに据えている感じはありますが、ライブを重視する方向に移ってきています。
ライブの本当の意味は「その時にしか味わえない」ということです。
CDあるいはデジタルでは「いつでも聞ける」ですが、ライブは「行かなければ聞けない・見れない」なのです。
これによって音楽業界は価値のインフレから脱却しています。そこでしか得られない体験なので価値が上昇します。ここでならCDを記念として買わせることもできるでしょうし、グッズなども販売できます。
ライブのチケットなんて結構高いですけど、買う人がたくさんいるわけです。これはそれだけの価値があると認めているからですよね。
この現象をもう少し一般化するとどうなるでしょうか?
○ライブには落とし穴がある
今のライブの話を聞いて、「そうか!じゃあ俺たちもライブだ!」ということでいきなりストリートライブをして、聞いてくれる人は何人いるでしょうか?
たぶんほとんどいませんよね。
ここから分かるように「ライブ」あるいは「体験価値」には落とし穴があります。
それは「ファン」でなければ魅力を感じないというところです。
見ず知らずのミュージシャンのライブにいきなり行くことってまずないですよね。少なくとも知ってはいるでしょうし、ほとんどの人は好きだから行くのでしょう。
つまり「ライブ」、「体験価値」の力を発揮するには、自分を好きになってもらわねばいけないのです。
ここで、ん?と思った方はするどいですよ。
「作品」でなくて、「自分」なの?
ええ、そうです。私の考えでは「自分」を好きになってもらわないといけないと思っています。
もちろん作品を好きになってもらうのがまず第一段階ではありますが、ファンになるような人の場合は「作品」のベース、背景になっているものを知りたがります。その背景をたどっていけば必ず作者の人間性や思想に突き当ります。
だから、作品を通して、また自分自身からも「人間性」や「思想」、つまりパーソナリティを表明しなくてはいけないと私は思います。
もちろん作品と人間性は切り離して評価する人もいますが、ファンになるような人の場合は切っても切れない関係になっている部分が結構あるんじゃないかなと思うのです。
まとめますと、
今後作品そのものの価値が低下する流れは止まらない
→よって体験型価値に移行する必要がある
→そのためには「ファン」をつくらなくてはいけない
→これには「パーソナリティ」の表明が必要
→つまり「自分」を売る時代になっていく
という具合です。
色々な考え方があるかもしれませんが、私はこういうのが必要な時代になってくるだろうと思っております!
ちなみに記事では、ビジネス書を売るような人はもともと専門的で必ずしもお金にこだわらないので本以外の動画などで自分のスキルや考えを話していくことになるだろう。よって、動画映えしたビジュアルがいい人が流行るのではないかという締めになっております。
これも要するにパーソナルな部分を見せるということなので、本質的には一緒かなと思いますです!
今のライブの話を聞いて、「そうか!じゃあ俺たちもライブだ!」ということでいきなりストリートライブをして、聞いてくれる人は何人いるでしょうか?
たぶんほとんどいませんよね。
ここから分かるように「ライブ」あるいは「体験価値」には落とし穴があります。
それは「ファン」でなければ魅力を感じないというところです。
見ず知らずのミュージシャンのライブにいきなり行くことってまずないですよね。少なくとも知ってはいるでしょうし、ほとんどの人は好きだから行くのでしょう。
つまり「ライブ」、「体験価値」の力を発揮するには、自分を好きになってもらわねばいけないのです。
ここで、ん?と思った方はするどいですよ。
「作品」でなくて、「自分」なの?
ええ、そうです。私の考えでは「自分」を好きになってもらわないといけないと思っています。
もちろん作品を好きになってもらうのがまず第一段階ではありますが、ファンになるような人の場合は「作品」のベース、背景になっているものを知りたがります。その背景をたどっていけば必ず作者の人間性や思想に突き当ります。
だから、作品を通して、また自分自身からも「人間性」や「思想」、つまりパーソナリティを表明しなくてはいけないと私は思います。
もちろん作品と人間性は切り離して評価する人もいますが、ファンになるような人の場合は切っても切れない関係になっている部分が結構あるんじゃないかなと思うのです。
まとめますと、
今後作品そのものの価値が低下する流れは止まらない
→よって体験型価値に移行する必要がある
→そのためには「ファン」をつくらなくてはいけない
→これには「パーソナリティ」の表明が必要
→つまり「自分」を売る時代になっていく
という具合です。
色々な考え方があるかもしれませんが、私はこういうのが必要な時代になってくるだろうと思っております!
ちなみに記事では、ビジネス書を売るような人はもともと専門的で必ずしもお金にこだわらないので本以外の動画などで自分のスキルや考えを話していくことになるだろう。よって、動画映えしたビジュアルがいい人が流行るのではないかという締めになっております。
これも要するにパーソナルな部分を見せるということなので、本質的には一緒かなと思いますです!