水もしたたるいい男(ユーフォ二次創作)
<注意>
・私はアニメしか見ていないので、原作とちょっと違うかもしれません。
・久美子と秀一が付き合っているという前提です。苦手な方はご注意を。
・時期ははっきり書いてませんが、まあ1年生の終わりの方から2年生の初めのころですかねえ。
・私はアニメしか見ていないので、原作とちょっと違うかもしれません。
・久美子と秀一が付き合っているという前提です。苦手な方はご注意を。
・時期ははっきり書いてませんが、まあ1年生の終わりの方から2年生の初めのころですかねえ。
『水もしたたるいい男』
「それでは、これで練習を終わります。お疲れ様でした」
滝先生がそう言うとそれまで張り詰めていた音楽室の空気が、ふわーっと溶けていく。同時に部員たちがガヤガヤし始める。
「久美子ちゃん、お疲れ様でした」
少し離れたところにいた緑ちゃんが話しかけてくる。
「緑ちゃん、お疲れ様」
「雨降ってきましたねえ」
「え!?」
緑ちゃんの言葉に驚いて窓の外を見ると、確かにしとしと降る雨粒が見えた。
「気づいてなかったんですか? それだけ集中してたんですね!」
緑ちゃん、相変わらずポジティブだね。
「なになに? なんの話?」
葉月ちゃんも入ってくる。
「雨が降ってきたね、って」
「わ! ほんとだ!」
「葉月ちゃんも気づいてなかったんですか?」
「うん、全然」
葉月ちゃんが勢いよく答えると、
「うぅー、なんか緑が全然集中してなかったみたいです……」
と、凹んでしまった。
「い、いや、そんなことないよ、緑ちゃん」
「そうだよ、さふぁいあ! コンバスは窓に近いから気づきやすかっただけだって」
「緑ですぅっ……。そうでしょうか。……うん、きっとそうですね!」
切り替え早いなあ。この辺は緑ちゃん、ほんとすごいと思う。
「帰らないの?」
すっかり帰り支度を終えた麗奈が後ろから声をかけてきた。麗奈はトランペットを持って帰るようでケースにすでに入れていた。
「あ、麗奈。帰る帰る」
楽器を持って立ち上がる。わたしはこれを準備室に置いていかなくてはいけない。
「ところでみなさんは傘持ってきてるんですか?」
緑ちゃんのこの問いかけで、足を進めようとしたわたしの動きはぴたりと止まった。
「わたし、持ってきてない……」
天気予報では雨になっていなかったし、今日はカバンが重かったので折り畳み傘も家に置いてある。
「そうなんですかあ。麗奈ちゃんと葉月ちゃんは?」
「わたしは置き傘があるから平気!」
「わたしもいつも折りたたみあるから」
性格が出てる……。どうしてこう準備が中途半端なんだわたしは……。
「久美子ちゃん? 大丈夫ですか?」
「え、あ、うん。平気平気」
どうしたものか。学校に予備の傘とかあったかなあ、と考えていると、
「久美子何して、……ってまだ楽器しまってないのかよ」
秀一が声をかけてきた。
付き合っているので、一応一緒に帰るのが基本みたいになっている。特に連絡していなかったので、探していたらしい。
しかし皆がいるところで話しかけられると恥ずかしいので、なんか腹がたつ。
「うるさいなあ。ちょっと話してたの」
わたしが答えると、「あ」という声が聞こえた。
「塚本くんは、傘持ってますか?」
声の主は緑ちゃんで、聞かれた秀一は「持ってるけど」と何気なく答えた。
「やりましたね、久美子ちゃん。これで帰れますよ」
「え、何言ってるの緑ちゃん」
緑ちゃんがわたしと秀一の間に入る。
「何って、決まってるじゃないですか! 相合傘ですよ、相合傘! カップルの定番です!」
緑ちゃんはやたらテンションの高い声で話して、手を胸の前で組んで目を輝かせた。
「わー、また始まったよ。緑の少女漫画ゾーン」
「葉月ちゃん! これは緑の趣味とかじゃないんですよ! 久美子ちゃんが困っているから、帰る方法をお教えしてるんです!」
緑ちゃんが葉月ちゃんの前に行って力説。
「いや、緑ちゃん、学校に予備あるか聞いてくるから」
「何言ってるんですか久美子ちゃん! 学校に傘なんてありませんよ! ここは、塚本くんに頼りましょう! 頼るべきです!」
な、何という迫力。鼻息が荒いよ緑ちゃん……。しかも傘ないのか……。
「れ、麗奈ぁ……」
困った声をあげて麗奈に助けを求めると、
「まあ、いいんじゃない?」
とあっさり。
「そんなあ」
麗奈の返答に肩を落としていると、
「お前らなあ……。まあ、いいや、とりあえず楽器しまおうぜ」
自分も絡むのにほぼ蚊帳の外に置かれていた秀一はそう言ってわたしが抱えていたユーフォを持った。
「あ、いいよ。自分でやるから」
「大丈夫大丈夫。それにお前らが話してるといつまでも終わらなさそうだから」
ぶっきらぼうな言い方。たぶん照れてるのだ。
わたしの返答も聞かずに、そのまま秀一は音楽室を出て行ってしまった。
「塚本って、やっぱり優しいよね」
葉月ちゃんがつぶやくように言った。
わたしは葉月ちゃんが秀一に好意を寄せていたことを知っているから、何だか胸がチクリとした。
「あ、別に、深い意味はないよ」
自分の言葉に気がついた葉月ちゃんが手を顔の前で振りながら言った。
「よし、じゃあ、私たちもしまいに行こ」
葉月ちゃんが音楽室を出ると、緑ちゃんがそれに続いて、わたしと麗奈も一緒に出た。
「今日は自主練しないの?」
隣を歩く麗奈に声をかける。
「うん。今日は雨だし、ちょっと用事もあるから」
「ふーん」
音楽室に入ると、秀一がちょうどユーフォをしまうところだった。
秀一に後ろから一応声をかける。
「あ、ありがと」
「おお」
視線を感じて後ろを見ると、麗奈が口元を何となくゆるませながらこちらを見ていた。
「な、なに?」
「ふふ。ううん。なんか久美子かわいいなって」
「え、急になに!」
びっくりしていると、緑ちゃんが麗奈の前に入っていき、
「分かりますか、麗奈ちゃん! そうなんです! 久美子ちゃんがかわいいんです!」
「ちょ、ちょっとやめてよ、緑ちゃん!」
ぽんと肩を叩かれて振り向くと、葉月ちゃんが「あーなったら、しばらくは帰ってこないよ」と苦笑いを浮かべていた。
「ほらー、川島さふぁいあー、お家帰りましょうね〜」
「緑ですぅ! あ、葉月ちゃん、まだ麗奈ちゃんとお話が〜!」
葉月ちゃんが緑ちゃんの背中を押しながら音楽準備室を出て行った。
「久美子、帰ろ。塚本も」
「お、おお」
麗奈に急に名前を呼ばれて秀一が驚いていた。慌てぶりがなんか面白い。
昇降口の入り口に立つと、雨は相変わらずのペースで降っていた。
半強制的に秀一の隣に立たされているわたしが歩き出すと、後ろから秀一以外誰も付いてこない。
「どうしたの?」
「緑たちは久美子ちゃんたちがちゃんと校門を出るまでお二人を見守ります!」
それはやばい。やばいよ緑ちゃん。もう何を言ってるか分からないよ。
「あれ、緑も傘持ってたの?」
葉月ちゃんが緑ちゃんが手に持っている傘を見て尋ねると、
「あ、これはさっき職員室で借りました」
と、事も無げに言った。
「ええ~! あるの!?」
「はい!」
「ひどいよ、緑ちゃん……」
目を伏せると、緑ちゃんが慌てたように駆け寄ってきて、
「ご、ごめんなさい。つい……。でも、塚本くんがいるから、大丈夫ですよ! ね、塚本くん?」
「え、あ、ああ。任せとけ」
「ほら、ね!」
秀一め、適当に相槌打ちやがって。っていうか、なんで相合傘する気満々なわけ?
麗奈は困ったような表情を浮かべていたが、ここまで緑ちゃんが盛り上がっているといくら麗奈でも助けてくれないだろう。
「はあ、分かったよ~」
秀一の背中をバシッと叩く。
「行こ」
「いっ! お前な……」
昇降口を出ると、
「お二人、お元気で~」
という緑ちゃんの声が聞こえた。
わたしたち、旅に出るの?
「まさか今日雨が降るとはなあ」
「天気予報じゃ何も言ってなかったのに……。でも、秀一がそれ持ってるなんてね」
わたしと秀一の頭にかぶさる大きめの黒い傘を見ながら、左側にいる秀一に言った。
「まあな」
「ま、どうせ置き傘なんでしょ?」
「何で分かるんだよ!」
「だって秀一じゃん」
どういうことだよ……とか言いながら二人で歩をすすめる。
「はあ」
「なんだよ、そんなに嫌だったか?」
道中ため息がちょくちょく出る。
「嫌っていうかさあ。秀一は恥ずかしくないの?」
「いや、まあ、恥ずかしくないわけではない」
「でしょー。わたし、超恥ずかしいんだけど、こんなの」
周りの人から見たら、街中で相合傘している男女=カップルというのが普通の解釈だろう。クラスメイトとかがいたら……と考えると、ため息が出る。
別にやましいことはしていないが、なんか見られるのが嫌なのだ。
「でも久美子の恥ずかしがりも結構なもんだよな。そりゃ、別に見せびらかすみたいなのは違うと思うけどさ、バレてるにはバレてるわけだし」
「でもなんか嫌なんだよ」
「この会話地味に傷つくな……」
そんなの知ったことか。
「あ、久美子、自転車」
後ろから自転車が来ていたようで秀一がわたしの腕をとって、自転車とわたしを離した。
流れで体が秀一にくっつく。
くっ、なんでこうドキドキするかな……。相手は秀一だぞ。
「大丈夫か?」
「う、うん。平気」
秀一は傘を右手から左手にとっさに持ち替えていたようで、もとに戻そうとしたときに傘が揺れて、水滴が落ちた。
それがわたしの右肩を少し濡らす。
「あ、悪い」
「……許さない」
「こえーよ」
そう言った秀一の顔が面白くて、ぷっと思わず吹いてしまった。
「なんだよ」
「いや、なんか、面白くて」
「失礼なやつだなあ」
秀一もそう言いながら笑っていた。
歩きを進めていたら、気持ちさっきよりもわたしと秀一の距離が詰まっていることに気づいた。
まあ、相合傘なので最初から近いのだが、ほぼぴったり腕同士がくっついている。
悔しいが、相合傘も悪くないなと思ってしまった。手をつなぐほどはっきりもしていないが、近くにはいられる。これくらいの恥ずかしさなら……。
なんとなく秀一の顔をうかがうと、特段いつもと変わりなさそうで、ちょっとムカつく。
なんか思うところはないのか。
じとーっと秀一を横目で見ていたら、秀一の左肩が結構濡れていることに気がついた。
わたしの右肩にはさっきの水滴ぐらいしかない。秀一なりに気を遣っているらしい。
ちょっと嬉しくなる。自分を思ってくれていることが分かるとやっぱり嬉しい。同時にくすぐったい気持ちになる。
と、秀一の肩の向こう側、つまり道路を挟んだ向かいの歩道を麗奈が逆方向に歩いているのが目に入った。
なぜ学校方面に歩いてるんだろう。というか、もう家に帰ったの?
いくつか疑問が浮かんで、「麗奈」と呼びかけようと立ち止まろうとした。
すると、足を止めたのが急ブレーキになってしまい、下が滑りやすいタイルのようだったこともあって、バランスを崩して尻餅をつく態勢になった。
あ、やばい!
と思った次の瞬間、バランスを何とか立て直してわたしは立っていた。
なぜ?
と思った1秒後、尻餅をついた秀一が見えた。
「しゅ、秀一、大丈夫?」
「イテテ、ああ、大丈夫。久美子のほうこそ平気だったか?」
「わたしは平気だけど……」
秀一が立ち上がると、秀一のお尻が予想以上にビショビショになっていた。
運の悪いことに、秀一がわたしをかばって尻餅をついたのは水たまりの上だったらしい。
「ご、ごめん」
「いいよ。歩いてりゃ乾くだろ」
「いや、無理じゃない?」
持っていたハンカチでとりあえず拭いてみるが、焼け石に水みたいなもので水気はまったく落ちない。
「ほんとごめん」
「いいって。っていうか急に止まってどうしたんだよ」
はっ、として向かいの歩道を見たが、もう麗奈の姿はどこにもなかった。
「な、なんでもない。とにかくごめん。早く帰ろ。風邪ひいちゃう」
わたしは落ちてしまった傘を拾うと、秀一の手をとって早足で歩いた。
外で手をつなぐのは出来るだけ避けていたのだが、そんなことを言ってる場合ではなかった。
マンションに着くと、急いでエレベーターに乗り、秀一の家がある階で降りた。
「あー、ここまででいいよ。大丈夫だから」
「でも……」
「子どもじゃあるまいし、これくらいなら大したことないって。というか、久美子も濡れちゃったな。悪い」
「こんなのは別に平気。とにかく、すぐ体拭いてね、あとお風呂!」
「はいよ。ってか久美子も同じくな。じゃあまた明日」
秀一が家に入っていく。
なんとなく、胸騒ぎがした。
次の日、朝起きると、スマホに「風邪ひいたっぽいから今日休む」と秀一からのメッセージが入っていた。
わたしはなんと返したらいいか分からなくて、「分かった」とだけ返した。何となく行く気になれず、その日は朝練も休んだ。もともと朝練は自主練だし(近隣の迷惑になるので合奏は禁止)、大会と大会の間の時期に毎日来るような人は多くない。
「え、塚本くん、風邪ひいちゃったんですか?」
緑ちゃんに教室で「今日は朝練来ませんでしたね。あれ、塚本くんは?」と聞かれたので、理由を話した。
「緑が昨日あんなことを言ったからですね……。ごめんなさい」
「いや、別に緑ちゃんのせいじゃないよ」
「でも……」
緑ちゃんが沈んでいるのに気づいた葉月ちゃんが近寄ってきて、
「どうしたの?」
と尋ねてきた。
「いや、秀一がちょっと風邪ひいちゃって」
「緑が昨日、一人で盛り上がってたせいです……」
「ああ、そうなんだ……。もう、緑も趣味で暴走するのはほどほどにしないとね」
「はいぃ……。本当にごめんね、久美子ちゃん。塚本くんにも謝らないと」
「大丈夫だから、あんまり気にしないで」
そのまま葉月ちゃんに慰められながら、緑ちゃんは自分の席に戻っていった。
緑ちゃんはやっぱりいい子だなと思う。葉月ちゃんも。
それに引き換えわたしは……。
「元気ないね、どうしたの? 朝も来なかったし」
練習前、麗奈が話しかけてきた。
「いやちょっとね……」
「あれ、塚本は? 今日休み?」
「うん……」
特に何も話していないのだが、色々察知したようで麗奈がわたしの顔を覗き込んできた。覗き込むというより、わたしに入り込んでくるような近さ。あのオーディションのときみたい。
「久美子が沈んでたら、ダメでしょ?」
ああ、麗奈らしい、と思った。
「久美子がダメだと、合奏もダメになる。緑ちゃん、それに塚本も」
「……うん、そうだね」
麗奈に頬に手をあてられる。
「久美子なら出来るってわたし、信じてるから」
「うん。ありがとう、麗奈」
麗奈の言う通りだ。わたしが凹んでいたら、緑ちゃんも余計凹むし、演奏に影響でるし、これを聞いたら秀一も責任を感じてしまう。
しっかりしろ、久美子。
麗奈が微笑んでくれたところで、滝先生が入ってきて練習が始まった。
直接には麗奈を見かけたことがきっかけなのだが、昨日何していたのかまで聞く余裕はなかった。
帰りは、麗奈たちとは帰らないで、急いで学校を出た。
なんとなく気が急いてしまう。
途中で何か見舞い品がないとと気がついて、コンビニに入る。秀一って何が好きなんだっけ……。
わたし、秀一のこと、全然分かってないじゃん。何が幼馴染だ。何が彼女だ。
とりあえずプリンを買った。嫌いではないはずだし、食欲がなくても食べられそうだったから。
また気持ちが沈んでしまう。
ああ、麗奈に怒られる。
秀一のことはたぶんずっと心の奥底では気にしていたのだろうけど、全然気づいていなかったから、秀一に対して意識が向いていなかった。
秀一はわたしが邪険にしてても、わたしを見ていてくれたのに。
気づけば駅から走っていた。なんかもう、歩いていられなかった。
秀一に会いたいのもあるけれど、自分の中で整理がつかない状況を早く脱したいほうが強かった。
つくづくわたしはズルい、嫌な人間だと思う。秀一に「こんなわたしでもいいの?」とか聞いても、たぶん「当たり前だ」とか言うだろうから。
まったく、出来レースに出るようなものだ。
答えをわざわざ聞いて、安心したいだけなのだ。
こんなわたしを、わたしは嫌いだ。
秀一の家の前に着くと、少し緊張した。幾度も来ているはずなのに。
チャイムを鳴らすと、秀一の声がした。
「あ、わたしだけど」
「久美子? ちょっと待って」
しばらく待つとカギが開く音がして、ドアが開く。
そこにはジャージ姿の秀一がいた。
「わざわざ来てくれたのか?」
「い、一応ね」
一応なわけがない。また、嘘をついてしまう。
「サンキュー。とりあえず上がる?」
「もう熱とかいいの?」
「ああ。下がったから大丈夫。明日は行けると思う」
ホッとした。秀一の体調が戻ったこと、わたしのこのネガテイブな気持ちもとりあえず続かなくて済みそうなことに。
秀一の部屋に入ると、秀一は自分のベッドに腰掛けた。
「今日は練習どうだった?」
「あー、よかったよ。先生にも『今日はいつもよりしっかり音が出てますね』って褒められたし、夏紀先輩にも『なんか気合い十分だね』って言われた」
「へー。なんか俺がいないほうが調子いいみたいだな」
冗談めかして秀一が言った。
そんなわけない。もし麗奈がああ言ってくれてなかったらボロボロだったはずだ。現に練習が終わったら、あっという間に気持ちは急降下しているのだから。
「そんなことないし。秀一がいないと困る」
どう感情を込めていいのか分からなくて、ただ低くつぶやくように言う感じになってしまった。怒ってると思われたかな。
「久美子」
知らぬ間に握り拳をつくっていたわたしの右手を秀一の手が包む。
「大丈夫か?」
「うん……。秀一がいないと皆心配するし、合奏だって音が薄くなるし、わたしだってーー」
とまで言ったところで、秀一の体温に体が包まれた。
「分かってるよ、すまん」
びっくりして体が固まってしまう。
「なんで秀一が謝るの……。わたしのほうこそごめんね」
「久美子のせいじゃないから」
好きな人に抱きしめられていて、とんでもなく恥ずかしいけど、同時にうれしさもあって、でもわたしがこんなことされていていいのかなという気持ちもあって。
いろんな感情が入り混じってどうにかなりそうだったので秀一から離れて、下に置いたカバンの中からさっき買ったプリンを出した。
「これ、食べる?」
「買ってくれたのか?」
「うん。まあ、お見舞いだし。安物で悪いけど」
「いやいや、全然いいって。サンキュー」
嬉しそうな表情をして秀一はプリンを受け取った。
100円のだよ?
秀一はまた腰掛けると、付いていたスプーンを使ってプリンを食べ始めた。
「久美子も座れば」
そういえばさっきからずっと立ちっぱなしだ。
どこに座ろうかと思案していると、秀一が自分の横を手で叩いた。
少し躊躇してから、そこに腰を下ろした。
「あ、風邪うつると悪いから、ここじゃないほうがいいか」
秀一が思い出したように言った。
「さっきあれだけ近くにいたんだからもう変わんないよ。それにもうだいたい治ってるんでしょ?」
「それもそうだな」
秀一のプリンは半分くらい無くなっている。
「ご飯食べたの?」
「いやあ、ちゃんとは食べてない。つくるのはなんかだるくて」
「だめじゃん。食べないと」
ごもっともですと言うように、秀一が肩を小さくした。
秀一の両親は共働きなので、日中はいない。風邪のときにつくるのが面倒なのは分かるけど。
「そういえばさ……、秀一って何が好きなんだっけ」
「何って?」
「食べ物。今日買おうと思ったんだけど、よく知らないなあって」
秀一はうーんと唸りながら、顔を上の方に向けて考えていた。
「絶対これがいいみたいなのは無いな」
「そういうの一番困る」
何でもいいとか言われるのが最も難解だ。答えが何だか分からない。これで微妙な反応をされたら目も当てられない。
「そう言われても……。強いて言うなら久美子が美味しいと思うもの、とか?」
「何それ……」
「いや、久美子の舌を信用してるんだよ」
単なる丸投げじゃん。
悩んで損した。
「はああ~、やっぱり秀一は秀一だよね」
大げさにため息をついて体を前かがみにする。
「どういう意味だよ」
「なんかムカつくってこと」
そのままの姿勢からお腹に軽くパンチを入れる。
「つっ、あのなあ、俺病人だからね」
「そんなに強くしてないし」
ふふっと笑いがこぼれた。
秀一は秀一なんだから、わたしが変にじたばたしてもしょうがないな。
体勢を起こすとそのまま秀一に寄りかかる。あまりする機会がないので、心拍数が上がる。
「秀一は秀一のままでいてね」
「あ? あぁ。よく分かんないけど。久美子も変に色々考えたりしなくていいから」
心配をかけてしまってたのかと思って申し訳ないなと思うと同時に、感じてくれていたことを嬉しくも思う。
「あ、でも昨日手つないでくれたのは嬉しかった」
「あれは早く帰らないとって思ったからで」
「分かってるよ。でも知らない顔を見れたり、俺のこと考えてくれてるんだなと思えるのは、なんか嬉しいよ」
そんなこと考えてたんだと改めて秀一を見る。わたしの知らない秀一の顔もきっとあるんだろうな。これから知ることになるのだろうか。
思いきって手をつなぐとびっくりしたのか秀一の体が少し震えた。
「なんか汗が……」
「悪かったな! 緊張してるんだよ!」
顔を見ると少し赤い。秀一もドキドキしてるんだ。
特に会話もせず、そのままの状態でしばらく過ごしていたが、いい加減恥ずかしくなってきたので、
「よし、じゃあ帰るね」
と口に出して、立ち上がりカバンを肩にかけた。
「明日は来るんでしょ?」
「たぶん大丈夫」
「ん。あ、ほんとに昨日はごめん」
「もういいって」
秀一も立ち上がって、わたしの髪を撫でる。
「水もしたたるいい男とか言うしさ」
「……馬鹿じゃないの。あれはイケメンに使う言葉だよ」
「冗談だよ!」
こうやって言えるから、もう大丈夫かな。
「あ、緑ちゃんが凹んでたよ。わたしのせいだって」
「川島が? そりゃ、悪いことしたな」
明日、きっといの一番に謝りに来るだろう。緑ちゃんはそういう子だ。
「じゃあ……お大事に」
「おお。プリンありがとな」
「うん」
そんなやり取りをして秀一の家を出た。
翌日、秀一はマンションのエントランスにいて、一緒に登校した。
学校に来ると普段はもう少し遅く来る緑ちゃんがすでに学校に来ていて、姿が見えると謝りに来た。それはもうすごい勢いで。秀一が「大丈夫、大丈夫」と逆に申し訳なさそうに言っていたのが何だか微笑ましく思えた。
「もう平気みたいね」
廊下で、麗奈がわたしの顔を見るなり言ってきた。
「うん。ありがとう」
「久美子のこと信じてるって言ったでしょ?」
麗奈は少し恥ずかしそうにして、先の方を歩き出した。
「あ、そういえば一昨日、帰ってるときに学校のほうへ歩いてるの見たんだけど、何してたの?」
「え、見てたの? あれは……、別に何でもない」
急にしどろもどろになると、麗奈は少し早足になった。
「あー、滝先生関係?」
「……久美子はやっぱり性格悪い」
「ははは、待ってよ麗奈ー」
さらに早足になって音楽室へ向かう麗奈を追いかける。
今日はいい日になりそうだ。
「それでは、これで練習を終わります。お疲れ様でした」
滝先生がそう言うとそれまで張り詰めていた音楽室の空気が、ふわーっと溶けていく。同時に部員たちがガヤガヤし始める。
「久美子ちゃん、お疲れ様でした」
少し離れたところにいた緑ちゃんが話しかけてくる。
「緑ちゃん、お疲れ様」
「雨降ってきましたねえ」
「え!?」
緑ちゃんの言葉に驚いて窓の外を見ると、確かにしとしと降る雨粒が見えた。
「気づいてなかったんですか? それだけ集中してたんですね!」
緑ちゃん、相変わらずポジティブだね。
「なになに? なんの話?」
葉月ちゃんも入ってくる。
「雨が降ってきたね、って」
「わ! ほんとだ!」
「葉月ちゃんも気づいてなかったんですか?」
「うん、全然」
葉月ちゃんが勢いよく答えると、
「うぅー、なんか緑が全然集中してなかったみたいです……」
と、凹んでしまった。
「い、いや、そんなことないよ、緑ちゃん」
「そうだよ、さふぁいあ! コンバスは窓に近いから気づきやすかっただけだって」
「緑ですぅっ……。そうでしょうか。……うん、きっとそうですね!」
切り替え早いなあ。この辺は緑ちゃん、ほんとすごいと思う。
「帰らないの?」
すっかり帰り支度を終えた麗奈が後ろから声をかけてきた。麗奈はトランペットを持って帰るようでケースにすでに入れていた。
「あ、麗奈。帰る帰る」
楽器を持って立ち上がる。わたしはこれを準備室に置いていかなくてはいけない。
「ところでみなさんは傘持ってきてるんですか?」
緑ちゃんのこの問いかけで、足を進めようとしたわたしの動きはぴたりと止まった。
「わたし、持ってきてない……」
天気予報では雨になっていなかったし、今日はカバンが重かったので折り畳み傘も家に置いてある。
「そうなんですかあ。麗奈ちゃんと葉月ちゃんは?」
「わたしは置き傘があるから平気!」
「わたしもいつも折りたたみあるから」
性格が出てる……。どうしてこう準備が中途半端なんだわたしは……。
「久美子ちゃん? 大丈夫ですか?」
「え、あ、うん。平気平気」
どうしたものか。学校に予備の傘とかあったかなあ、と考えていると、
「久美子何して、……ってまだ楽器しまってないのかよ」
秀一が声をかけてきた。
付き合っているので、一応一緒に帰るのが基本みたいになっている。特に連絡していなかったので、探していたらしい。
しかし皆がいるところで話しかけられると恥ずかしいので、なんか腹がたつ。
「うるさいなあ。ちょっと話してたの」
わたしが答えると、「あ」という声が聞こえた。
「塚本くんは、傘持ってますか?」
声の主は緑ちゃんで、聞かれた秀一は「持ってるけど」と何気なく答えた。
「やりましたね、久美子ちゃん。これで帰れますよ」
「え、何言ってるの緑ちゃん」
緑ちゃんがわたしと秀一の間に入る。
「何って、決まってるじゃないですか! 相合傘ですよ、相合傘! カップルの定番です!」
緑ちゃんはやたらテンションの高い声で話して、手を胸の前で組んで目を輝かせた。
「わー、また始まったよ。緑の少女漫画ゾーン」
「葉月ちゃん! これは緑の趣味とかじゃないんですよ! 久美子ちゃんが困っているから、帰る方法をお教えしてるんです!」
緑ちゃんが葉月ちゃんの前に行って力説。
「いや、緑ちゃん、学校に予備あるか聞いてくるから」
「何言ってるんですか久美子ちゃん! 学校に傘なんてありませんよ! ここは、塚本くんに頼りましょう! 頼るべきです!」
な、何という迫力。鼻息が荒いよ緑ちゃん……。しかも傘ないのか……。
「れ、麗奈ぁ……」
困った声をあげて麗奈に助けを求めると、
「まあ、いいんじゃない?」
とあっさり。
「そんなあ」
麗奈の返答に肩を落としていると、
「お前らなあ……。まあ、いいや、とりあえず楽器しまおうぜ」
自分も絡むのにほぼ蚊帳の外に置かれていた秀一はそう言ってわたしが抱えていたユーフォを持った。
「あ、いいよ。自分でやるから」
「大丈夫大丈夫。それにお前らが話してるといつまでも終わらなさそうだから」
ぶっきらぼうな言い方。たぶん照れてるのだ。
わたしの返答も聞かずに、そのまま秀一は音楽室を出て行ってしまった。
「塚本って、やっぱり優しいよね」
葉月ちゃんがつぶやくように言った。
わたしは葉月ちゃんが秀一に好意を寄せていたことを知っているから、何だか胸がチクリとした。
「あ、別に、深い意味はないよ」
自分の言葉に気がついた葉月ちゃんが手を顔の前で振りながら言った。
「よし、じゃあ、私たちもしまいに行こ」
葉月ちゃんが音楽室を出ると、緑ちゃんがそれに続いて、わたしと麗奈も一緒に出た。
「今日は自主練しないの?」
隣を歩く麗奈に声をかける。
「うん。今日は雨だし、ちょっと用事もあるから」
「ふーん」
音楽室に入ると、秀一がちょうどユーフォをしまうところだった。
秀一に後ろから一応声をかける。
「あ、ありがと」
「おお」
視線を感じて後ろを見ると、麗奈が口元を何となくゆるませながらこちらを見ていた。
「な、なに?」
「ふふ。ううん。なんか久美子かわいいなって」
「え、急になに!」
びっくりしていると、緑ちゃんが麗奈の前に入っていき、
「分かりますか、麗奈ちゃん! そうなんです! 久美子ちゃんがかわいいんです!」
「ちょ、ちょっとやめてよ、緑ちゃん!」
ぽんと肩を叩かれて振り向くと、葉月ちゃんが「あーなったら、しばらくは帰ってこないよ」と苦笑いを浮かべていた。
「ほらー、川島さふぁいあー、お家帰りましょうね〜」
「緑ですぅ! あ、葉月ちゃん、まだ麗奈ちゃんとお話が〜!」
葉月ちゃんが緑ちゃんの背中を押しながら音楽準備室を出て行った。
「久美子、帰ろ。塚本も」
「お、おお」
麗奈に急に名前を呼ばれて秀一が驚いていた。慌てぶりがなんか面白い。
昇降口の入り口に立つと、雨は相変わらずのペースで降っていた。
半強制的に秀一の隣に立たされているわたしが歩き出すと、後ろから秀一以外誰も付いてこない。
「どうしたの?」
「緑たちは久美子ちゃんたちがちゃんと校門を出るまでお二人を見守ります!」
それはやばい。やばいよ緑ちゃん。もう何を言ってるか分からないよ。
「あれ、緑も傘持ってたの?」
葉月ちゃんが緑ちゃんが手に持っている傘を見て尋ねると、
「あ、これはさっき職員室で借りました」
と、事も無げに言った。
「ええ~! あるの!?」
「はい!」
「ひどいよ、緑ちゃん……」
目を伏せると、緑ちゃんが慌てたように駆け寄ってきて、
「ご、ごめんなさい。つい……。でも、塚本くんがいるから、大丈夫ですよ! ね、塚本くん?」
「え、あ、ああ。任せとけ」
「ほら、ね!」
秀一め、適当に相槌打ちやがって。っていうか、なんで相合傘する気満々なわけ?
麗奈は困ったような表情を浮かべていたが、ここまで緑ちゃんが盛り上がっているといくら麗奈でも助けてくれないだろう。
「はあ、分かったよ~」
秀一の背中をバシッと叩く。
「行こ」
「いっ! お前な……」
昇降口を出ると、
「お二人、お元気で~」
という緑ちゃんの声が聞こえた。
わたしたち、旅に出るの?
「まさか今日雨が降るとはなあ」
「天気予報じゃ何も言ってなかったのに……。でも、秀一がそれ持ってるなんてね」
わたしと秀一の頭にかぶさる大きめの黒い傘を見ながら、左側にいる秀一に言った。
「まあな」
「ま、どうせ置き傘なんでしょ?」
「何で分かるんだよ!」
「だって秀一じゃん」
どういうことだよ……とか言いながら二人で歩をすすめる。
「はあ」
「なんだよ、そんなに嫌だったか?」
道中ため息がちょくちょく出る。
「嫌っていうかさあ。秀一は恥ずかしくないの?」
「いや、まあ、恥ずかしくないわけではない」
「でしょー。わたし、超恥ずかしいんだけど、こんなの」
周りの人から見たら、街中で相合傘している男女=カップルというのが普通の解釈だろう。クラスメイトとかがいたら……と考えると、ため息が出る。
別にやましいことはしていないが、なんか見られるのが嫌なのだ。
「でも久美子の恥ずかしがりも結構なもんだよな。そりゃ、別に見せびらかすみたいなのは違うと思うけどさ、バレてるにはバレてるわけだし」
「でもなんか嫌なんだよ」
「この会話地味に傷つくな……」
そんなの知ったことか。
「あ、久美子、自転車」
後ろから自転車が来ていたようで秀一がわたしの腕をとって、自転車とわたしを離した。
流れで体が秀一にくっつく。
くっ、なんでこうドキドキするかな……。相手は秀一だぞ。
「大丈夫か?」
「う、うん。平気」
秀一は傘を右手から左手にとっさに持ち替えていたようで、もとに戻そうとしたときに傘が揺れて、水滴が落ちた。
それがわたしの右肩を少し濡らす。
「あ、悪い」
「……許さない」
「こえーよ」
そう言った秀一の顔が面白くて、ぷっと思わず吹いてしまった。
「なんだよ」
「いや、なんか、面白くて」
「失礼なやつだなあ」
秀一もそう言いながら笑っていた。
歩きを進めていたら、気持ちさっきよりもわたしと秀一の距離が詰まっていることに気づいた。
まあ、相合傘なので最初から近いのだが、ほぼぴったり腕同士がくっついている。
悔しいが、相合傘も悪くないなと思ってしまった。手をつなぐほどはっきりもしていないが、近くにはいられる。これくらいの恥ずかしさなら……。
なんとなく秀一の顔をうかがうと、特段いつもと変わりなさそうで、ちょっとムカつく。
なんか思うところはないのか。
じとーっと秀一を横目で見ていたら、秀一の左肩が結構濡れていることに気がついた。
わたしの右肩にはさっきの水滴ぐらいしかない。秀一なりに気を遣っているらしい。
ちょっと嬉しくなる。自分を思ってくれていることが分かるとやっぱり嬉しい。同時にくすぐったい気持ちになる。
と、秀一の肩の向こう側、つまり道路を挟んだ向かいの歩道を麗奈が逆方向に歩いているのが目に入った。
なぜ学校方面に歩いてるんだろう。というか、もう家に帰ったの?
いくつか疑問が浮かんで、「麗奈」と呼びかけようと立ち止まろうとした。
すると、足を止めたのが急ブレーキになってしまい、下が滑りやすいタイルのようだったこともあって、バランスを崩して尻餅をつく態勢になった。
あ、やばい!
と思った次の瞬間、バランスを何とか立て直してわたしは立っていた。
なぜ?
と思った1秒後、尻餅をついた秀一が見えた。
「しゅ、秀一、大丈夫?」
「イテテ、ああ、大丈夫。久美子のほうこそ平気だったか?」
「わたしは平気だけど……」
秀一が立ち上がると、秀一のお尻が予想以上にビショビショになっていた。
運の悪いことに、秀一がわたしをかばって尻餅をついたのは水たまりの上だったらしい。
「ご、ごめん」
「いいよ。歩いてりゃ乾くだろ」
「いや、無理じゃない?」
持っていたハンカチでとりあえず拭いてみるが、焼け石に水みたいなもので水気はまったく落ちない。
「ほんとごめん」
「いいって。っていうか急に止まってどうしたんだよ」
はっ、として向かいの歩道を見たが、もう麗奈の姿はどこにもなかった。
「な、なんでもない。とにかくごめん。早く帰ろ。風邪ひいちゃう」
わたしは落ちてしまった傘を拾うと、秀一の手をとって早足で歩いた。
外で手をつなぐのは出来るだけ避けていたのだが、そんなことを言ってる場合ではなかった。
マンションに着くと、急いでエレベーターに乗り、秀一の家がある階で降りた。
「あー、ここまででいいよ。大丈夫だから」
「でも……」
「子どもじゃあるまいし、これくらいなら大したことないって。というか、久美子も濡れちゃったな。悪い」
「こんなのは別に平気。とにかく、すぐ体拭いてね、あとお風呂!」
「はいよ。ってか久美子も同じくな。じゃあまた明日」
秀一が家に入っていく。
なんとなく、胸騒ぎがした。
次の日、朝起きると、スマホに「風邪ひいたっぽいから今日休む」と秀一からのメッセージが入っていた。
わたしはなんと返したらいいか分からなくて、「分かった」とだけ返した。何となく行く気になれず、その日は朝練も休んだ。もともと朝練は自主練だし(近隣の迷惑になるので合奏は禁止)、大会と大会の間の時期に毎日来るような人は多くない。
「え、塚本くん、風邪ひいちゃったんですか?」
緑ちゃんに教室で「今日は朝練来ませんでしたね。あれ、塚本くんは?」と聞かれたので、理由を話した。
「緑が昨日あんなことを言ったからですね……。ごめんなさい」
「いや、別に緑ちゃんのせいじゃないよ」
「でも……」
緑ちゃんが沈んでいるのに気づいた葉月ちゃんが近寄ってきて、
「どうしたの?」
と尋ねてきた。
「いや、秀一がちょっと風邪ひいちゃって」
「緑が昨日、一人で盛り上がってたせいです……」
「ああ、そうなんだ……。もう、緑も趣味で暴走するのはほどほどにしないとね」
「はいぃ……。本当にごめんね、久美子ちゃん。塚本くんにも謝らないと」
「大丈夫だから、あんまり気にしないで」
そのまま葉月ちゃんに慰められながら、緑ちゃんは自分の席に戻っていった。
緑ちゃんはやっぱりいい子だなと思う。葉月ちゃんも。
それに引き換えわたしは……。
「元気ないね、どうしたの? 朝も来なかったし」
練習前、麗奈が話しかけてきた。
「いやちょっとね……」
「あれ、塚本は? 今日休み?」
「うん……」
特に何も話していないのだが、色々察知したようで麗奈がわたしの顔を覗き込んできた。覗き込むというより、わたしに入り込んでくるような近さ。あのオーディションのときみたい。
「久美子が沈んでたら、ダメでしょ?」
ああ、麗奈らしい、と思った。
「久美子がダメだと、合奏もダメになる。緑ちゃん、それに塚本も」
「……うん、そうだね」
麗奈に頬に手をあてられる。
「久美子なら出来るってわたし、信じてるから」
「うん。ありがとう、麗奈」
麗奈の言う通りだ。わたしが凹んでいたら、緑ちゃんも余計凹むし、演奏に影響でるし、これを聞いたら秀一も責任を感じてしまう。
しっかりしろ、久美子。
麗奈が微笑んでくれたところで、滝先生が入ってきて練習が始まった。
直接には麗奈を見かけたことがきっかけなのだが、昨日何していたのかまで聞く余裕はなかった。
帰りは、麗奈たちとは帰らないで、急いで学校を出た。
なんとなく気が急いてしまう。
途中で何か見舞い品がないとと気がついて、コンビニに入る。秀一って何が好きなんだっけ……。
わたし、秀一のこと、全然分かってないじゃん。何が幼馴染だ。何が彼女だ。
とりあえずプリンを買った。嫌いではないはずだし、食欲がなくても食べられそうだったから。
また気持ちが沈んでしまう。
ああ、麗奈に怒られる。
秀一のことはたぶんずっと心の奥底では気にしていたのだろうけど、全然気づいていなかったから、秀一に対して意識が向いていなかった。
秀一はわたしが邪険にしてても、わたしを見ていてくれたのに。
気づけば駅から走っていた。なんかもう、歩いていられなかった。
秀一に会いたいのもあるけれど、自分の中で整理がつかない状況を早く脱したいほうが強かった。
つくづくわたしはズルい、嫌な人間だと思う。秀一に「こんなわたしでもいいの?」とか聞いても、たぶん「当たり前だ」とか言うだろうから。
まったく、出来レースに出るようなものだ。
答えをわざわざ聞いて、安心したいだけなのだ。
こんなわたしを、わたしは嫌いだ。
秀一の家の前に着くと、少し緊張した。幾度も来ているはずなのに。
チャイムを鳴らすと、秀一の声がした。
「あ、わたしだけど」
「久美子? ちょっと待って」
しばらく待つとカギが開く音がして、ドアが開く。
そこにはジャージ姿の秀一がいた。
「わざわざ来てくれたのか?」
「い、一応ね」
一応なわけがない。また、嘘をついてしまう。
「サンキュー。とりあえず上がる?」
「もう熱とかいいの?」
「ああ。下がったから大丈夫。明日は行けると思う」
ホッとした。秀一の体調が戻ったこと、わたしのこのネガテイブな気持ちもとりあえず続かなくて済みそうなことに。
秀一の部屋に入ると、秀一は自分のベッドに腰掛けた。
「今日は練習どうだった?」
「あー、よかったよ。先生にも『今日はいつもよりしっかり音が出てますね』って褒められたし、夏紀先輩にも『なんか気合い十分だね』って言われた」
「へー。なんか俺がいないほうが調子いいみたいだな」
冗談めかして秀一が言った。
そんなわけない。もし麗奈がああ言ってくれてなかったらボロボロだったはずだ。現に練習が終わったら、あっという間に気持ちは急降下しているのだから。
「そんなことないし。秀一がいないと困る」
どう感情を込めていいのか分からなくて、ただ低くつぶやくように言う感じになってしまった。怒ってると思われたかな。
「久美子」
知らぬ間に握り拳をつくっていたわたしの右手を秀一の手が包む。
「大丈夫か?」
「うん……。秀一がいないと皆心配するし、合奏だって音が薄くなるし、わたしだってーー」
とまで言ったところで、秀一の体温に体が包まれた。
「分かってるよ、すまん」
びっくりして体が固まってしまう。
「なんで秀一が謝るの……。わたしのほうこそごめんね」
「久美子のせいじゃないから」
好きな人に抱きしめられていて、とんでもなく恥ずかしいけど、同時にうれしさもあって、でもわたしがこんなことされていていいのかなという気持ちもあって。
いろんな感情が入り混じってどうにかなりそうだったので秀一から離れて、下に置いたカバンの中からさっき買ったプリンを出した。
「これ、食べる?」
「買ってくれたのか?」
「うん。まあ、お見舞いだし。安物で悪いけど」
「いやいや、全然いいって。サンキュー」
嬉しそうな表情をして秀一はプリンを受け取った。
100円のだよ?
秀一はまた腰掛けると、付いていたスプーンを使ってプリンを食べ始めた。
「久美子も座れば」
そういえばさっきからずっと立ちっぱなしだ。
どこに座ろうかと思案していると、秀一が自分の横を手で叩いた。
少し躊躇してから、そこに腰を下ろした。
「あ、風邪うつると悪いから、ここじゃないほうがいいか」
秀一が思い出したように言った。
「さっきあれだけ近くにいたんだからもう変わんないよ。それにもうだいたい治ってるんでしょ?」
「それもそうだな」
秀一のプリンは半分くらい無くなっている。
「ご飯食べたの?」
「いやあ、ちゃんとは食べてない。つくるのはなんかだるくて」
「だめじゃん。食べないと」
ごもっともですと言うように、秀一が肩を小さくした。
秀一の両親は共働きなので、日中はいない。風邪のときにつくるのが面倒なのは分かるけど。
「そういえばさ……、秀一って何が好きなんだっけ」
「何って?」
「食べ物。今日買おうと思ったんだけど、よく知らないなあって」
秀一はうーんと唸りながら、顔を上の方に向けて考えていた。
「絶対これがいいみたいなのは無いな」
「そういうの一番困る」
何でもいいとか言われるのが最も難解だ。答えが何だか分からない。これで微妙な反応をされたら目も当てられない。
「そう言われても……。強いて言うなら久美子が美味しいと思うもの、とか?」
「何それ……」
「いや、久美子の舌を信用してるんだよ」
単なる丸投げじゃん。
悩んで損した。
「はああ~、やっぱり秀一は秀一だよね」
大げさにため息をついて体を前かがみにする。
「どういう意味だよ」
「なんかムカつくってこと」
そのままの姿勢からお腹に軽くパンチを入れる。
「つっ、あのなあ、俺病人だからね」
「そんなに強くしてないし」
ふふっと笑いがこぼれた。
秀一は秀一なんだから、わたしが変にじたばたしてもしょうがないな。
体勢を起こすとそのまま秀一に寄りかかる。あまりする機会がないので、心拍数が上がる。
「秀一は秀一のままでいてね」
「あ? あぁ。よく分かんないけど。久美子も変に色々考えたりしなくていいから」
心配をかけてしまってたのかと思って申し訳ないなと思うと同時に、感じてくれていたことを嬉しくも思う。
「あ、でも昨日手つないでくれたのは嬉しかった」
「あれは早く帰らないとって思ったからで」
「分かってるよ。でも知らない顔を見れたり、俺のこと考えてくれてるんだなと思えるのは、なんか嬉しいよ」
そんなこと考えてたんだと改めて秀一を見る。わたしの知らない秀一の顔もきっとあるんだろうな。これから知ることになるのだろうか。
思いきって手をつなぐとびっくりしたのか秀一の体が少し震えた。
「なんか汗が……」
「悪かったな! 緊張してるんだよ!」
顔を見ると少し赤い。秀一もドキドキしてるんだ。
特に会話もせず、そのままの状態でしばらく過ごしていたが、いい加減恥ずかしくなってきたので、
「よし、じゃあ帰るね」
と口に出して、立ち上がりカバンを肩にかけた。
「明日は来るんでしょ?」
「たぶん大丈夫」
「ん。あ、ほんとに昨日はごめん」
「もういいって」
秀一も立ち上がって、わたしの髪を撫でる。
「水もしたたるいい男とか言うしさ」
「……馬鹿じゃないの。あれはイケメンに使う言葉だよ」
「冗談だよ!」
こうやって言えるから、もう大丈夫かな。
「あ、緑ちゃんが凹んでたよ。わたしのせいだって」
「川島が? そりゃ、悪いことしたな」
明日、きっといの一番に謝りに来るだろう。緑ちゃんはそういう子だ。
「じゃあ……お大事に」
「おお。プリンありがとな」
「うん」
そんなやり取りをして秀一の家を出た。
翌日、秀一はマンションのエントランスにいて、一緒に登校した。
学校に来ると普段はもう少し遅く来る緑ちゃんがすでに学校に来ていて、姿が見えると謝りに来た。それはもうすごい勢いで。秀一が「大丈夫、大丈夫」と逆に申し訳なさそうに言っていたのが何だか微笑ましく思えた。
「もう平気みたいね」
廊下で、麗奈がわたしの顔を見るなり言ってきた。
「うん。ありがとう」
「久美子のこと信じてるって言ったでしょ?」
麗奈は少し恥ずかしそうにして、先の方を歩き出した。
「あ、そういえば一昨日、帰ってるときに学校のほうへ歩いてるの見たんだけど、何してたの?」
「え、見てたの? あれは……、別に何でもない」
急にしどろもどろになると、麗奈は少し早足になった。
「あー、滝先生関係?」
「……久美子はやっぱり性格悪い」
「ははは、待ってよ麗奈ー」
さらに早足になって音楽室へ向かう麗奈を追いかける。
今日はいい日になりそうだ。
あとがき的な
秀久美カップリングが好きなので、なんか勢いで書いたやつです。
この二人の「パートナー感」が好きなんですよね。「燃えるような恋」みたいなのもありますが、この二人の場合は付き合いが長いのでそういうのはあまりなさそうですよね。その代わり、お互いのことを分かっている(もしくは分かろうとしている)感じがすごくして、好きなんです。その延長としてのイチャイチャみたいな(笑)
緑ちゃんをトリガーのキャラクターにしたので、なんか暴走させてしまい、謝罪に追い込んでしまい、まことに申し訳ありません。
麗奈はあの日、何をしていたんでしょうかねえ~?
秀久美カップリングが好きなので、なんか勢いで書いたやつです。
この二人の「パートナー感」が好きなんですよね。「燃えるような恋」みたいなのもありますが、この二人の場合は付き合いが長いのでそういうのはあまりなさそうですよね。その代わり、お互いのことを分かっている(もしくは分かろうとしている)感じがすごくして、好きなんです。その延長としてのイチャイチャみたいな(笑)
緑ちゃんをトリガーのキャラクターにしたので、なんか暴走させてしまい、謝罪に追い込んでしまい、まことに申し訳ありません。
麗奈はあの日、何をしていたんでしょうかねえ~?