断捨離って辛くない?
最近はミニマリスト(ものを持たない主義)が、ちょっとしたブームというかトレンドのようになっていて、「片付け」・「断捨離」の本とか結構売れていますよね。
私もあまりものを捨てられないタイプなので、「断捨離」とかしてみようかなあと思ったわけです。
でも、いざ捨てようとかと考えると、うっ胸が苦しい……。
この気持ちは何なの?
というわけでちょっと調べてみました。
私もあまりものを捨てられないタイプなので、「断捨離」とかしてみようかなあと思ったわけです。
でも、いざ捨てようとかと考えると、うっ胸が苦しい……。
この気持ちは何なの?
というわけでちょっと調べてみました。
○本当に失ないたくないのはモノではなく「過去」
モノを捨てる、処分するというときは、そのモノに付随している過去の自分も一緒に捨てることになります。
このため、「過去の自分」に執着心があるとモノを捨てがたくなってしまうのですね。
でもこう書くと、
「いや、過去の自分も大切でしょ」
という声も聞こえてきそうです。
もちろん「過去の自分」は大切ですが、人間が持っておける情報の量には限度があります。生まれた瞬間から今までの情報をすべて引っ提げて、未来の情報を十分に受け取ることは難しいのです。だからある程度捨てていく必要があります。
でも、「過去の自分」は自分を構成する重要な要素のように思えて、それを捨てることはひどく難しく感じられますよね。だから胸が苦しくなる。
しかしここで立ち止まって考えてみてください。
「過去の自分」ってなんですか?
モノを捨てる、処分するというときは、そのモノに付随している過去の自分も一緒に捨てることになります。
このため、「過去の自分」に執着心があるとモノを捨てがたくなってしまうのですね。
でもこう書くと、
「いや、過去の自分も大切でしょ」
という声も聞こえてきそうです。
もちろん「過去の自分」は大切ですが、人間が持っておける情報の量には限度があります。生まれた瞬間から今までの情報をすべて引っ提げて、未来の情報を十分に受け取ることは難しいのです。だからある程度捨てていく必要があります。
でも、「過去の自分」は自分を構成する重要な要素のように思えて、それを捨てることはひどく難しく感じられますよね。だから胸が苦しくなる。
しかしここで立ち止まって考えてみてください。
「過去の自分」ってなんですか?
○血肉にならない過去は必要ですか?
「過去の自分」とは要するに「思い出」です。
「あのときこうだった」とかそういうエピソードですね。
そのエピソードが積み重なって自分が構成されている「ように見えます」よね。
だから、モノを媒介にして、その思い出を再生し、自分を確認するわけです。
でも、本当に「思い出」が私たちを構成しているのでしょうか。
私たちを構成しているのは、エピソードではなく、そこから得た経験値ではないですか?
再生しなければ感じられないようなエピソードは未来にはあまり役に立たないものです。
必要なエピソード、そして記憶はモノを媒介にしなくてもしっかり残っています。
悪いエピソードを呼び起こすモノなんてむしろ無い方がいいですよね。
自分の血肉になっていない過去は未来には不要なものなのではないでしょうか。
「過去の自分」とは要するに「思い出」です。
「あのときこうだった」とかそういうエピソードですね。
そのエピソードが積み重なって自分が構成されている「ように見えます」よね。
だから、モノを媒介にして、その思い出を再生し、自分を確認するわけです。
でも、本当に「思い出」が私たちを構成しているのでしょうか。
私たちを構成しているのは、エピソードではなく、そこから得た経験値ではないですか?
再生しなければ感じられないようなエピソードは未来にはあまり役に立たないものです。
必要なエピソード、そして記憶はモノを媒介にしなくてもしっかり残っています。
悪いエピソードを呼び起こすモノなんてむしろ無い方がいいですよね。
自分の血肉になっていない過去は未来には不要なものなのではないでしょうか。
○未来のためには捨てることも必要である
というわけで、どうもモノを捨てるときに辛くなるのは「過去の自分」への執着があるからのようです。人間は過去から未来を予測して生きているので、過去は確かに大事なのです。「あそこで池に落ちたから、今回も落ちるかも。近づかないでおこう」みたいな感じで。
でも今の文明社会で、未来に必要な過去が果たしてどれだけあるのか。
未来に受け取る情報をしっかり受け取るためにも「血肉になっていないもの」あるいは「今も使っていて、未来にも絶対に必要だと確信できるもの」以外は捨ててしまったほうがいいのかもしれません。
もちろん、ある程度モノがあったほうが私は幸せなんじゃい!という方もいるでしょうから、最後は自分の気持ちとの兼ね合いになりますけどね。
はあ。この記事は自分で自分に書きました(笑)
自分への鼓舞です。
よし、やるぞ!
というわけで、どうもモノを捨てるときに辛くなるのは「過去の自分」への執着があるからのようです。人間は過去から未来を予測して生きているので、過去は確かに大事なのです。「あそこで池に落ちたから、今回も落ちるかも。近づかないでおこう」みたいな感じで。
でも今の文明社会で、未来に必要な過去が果たしてどれだけあるのか。
未来に受け取る情報をしっかり受け取るためにも「血肉になっていないもの」あるいは「今も使っていて、未来にも絶対に必要だと確信できるもの」以外は捨ててしまったほうがいいのかもしれません。
もちろん、ある程度モノがあったほうが私は幸せなんじゃい!という方もいるでしょうから、最後は自分の気持ちとの兼ね合いになりますけどね。
はあ。この記事は自分で自分に書きました(笑)
自分への鼓舞です。
よし、やるぞ!