秒速の衝撃と私の未来
あなたの人生を変えた作品を一つ上げて下さいと言われたら、私は迷わず「秒速5センチメートル」だと答える。
作品そのものも好きだし、ラストの衝撃は今でも忘れられない。高校生だった私は一週間ぐらい映画のことで頭がいっぱいになった。
だが、秒速が私の人生を変えた理由は作品にあるのではない。作品として好きなものやターニングポイントになっているものは他にもある。だが、そのどれもが秒速を上回れない要素がある。
それは『新海誠』である。もっと言えば、新海さんの「生き方」である。
秒速を観て、新海さんに興味を持った私は新海さんについて調べまくった。過去作もすべて見て、当時製作中だった「星を追う子ども」のイメージボードにキュンとしていたりした。その中で最も私の心を捉えたのは「自主制作」というデビュー形態だった。
いや、「自主制作」というかたちに心を動かされたわけではなく、デビュー期の新海さんが「自主制作という手段を選ぶほどに作品を作りたい衝動に襲われていた」という事実に心を奪われたのである。
私は飽き性で興味関心が多方面に及ぶタイプであり、他人に対しての責任がない場合は物事や感情があまり長続きしない。そんな、私には無い「強い執着心」が私の感性を捉えたことに驚き、またひどく憧れたのである。
しかし、憧れというのは目標とは異なる。その証左にいわゆる絵心や美術的センスが無い私は、アニメをつくるといった新海さんの模倣をしようと思ったことは無い(小説について飽き性がたたって挫折したことはあるが、これは新海さんに触れる前で「アリソン」シリーズの影響)。
その代わり、「私」を軸にした気持ちを持つ人は世界を、少なくとも誰かを変える力を持っていることに気づき、そういう人たちが活躍する世界を守りたいと思ったのである。
だからずっとどこかで、「自主制作」を応援したいと思っていた。ただ困ったことに私は自分の感性に触れないと作品(特に物語)を受容しないので(義務的に作品を受け取るのはひどくストレス)、コンテンツ方面の応援は難しかった。
このため、具体的な方法がなかなか思いつかず、大学に入ったあたりからずっと悩んでいた(というか今も悩んでいる)。
例えば、作業を手伝うとかは出来るかもとか、ビジネス的な考えを教えることはできるかもとか、いくつかアプローチをしてきた。
今やっている電子書籍関連も自分の持つスキルで出版したい人を手伝えるだろうと考えて始めたもので、サイトも当初はスモールビジネス情報の提示を目的としていた(最近はぶれてる)。
だが、最近はそれらもしっくりこない感じがしている。ということは、それらは何か外れているということだ。
では、何ならしっくりくるのか。
まだはっきりは分からないが、私は「最適解を考えるのが好き」なようである。すなわちある問題に対して、その問題を抱える人に最も適した解答を与える、あるいは問題解決システムを考えることが好きなのである。
そして、「秒速の衝撃」から自主制作というアート分野に視野が狭まっていたが、本質的には「自分の思いを大切にしたい人の生き方」に心を動かされていた。
この辺りをヒントにすると、「自分を大切にした生き方がしたいが出来ていない、あるいはそれをやりたいがどうしたらいいか分からない人に解決策をアドバイスしたり、ノウハウをシステム化して教えること、その他サポートをすること」が一つの方向性なのではないかという気がするわけである。
あの「秒速の衝撃」からだいたい7年ぐらいだ。あの時の心の高揚を具体化し、誰かの人生を変えてあげたいと強く思う日々である。
作品そのものも好きだし、ラストの衝撃は今でも忘れられない。高校生だった私は一週間ぐらい映画のことで頭がいっぱいになった。
だが、秒速が私の人生を変えた理由は作品にあるのではない。作品として好きなものやターニングポイントになっているものは他にもある。だが、そのどれもが秒速を上回れない要素がある。
それは『新海誠』である。もっと言えば、新海さんの「生き方」である。
秒速を観て、新海さんに興味を持った私は新海さんについて調べまくった。過去作もすべて見て、当時製作中だった「星を追う子ども」のイメージボードにキュンとしていたりした。その中で最も私の心を捉えたのは「自主制作」というデビュー形態だった。
いや、「自主制作」というかたちに心を動かされたわけではなく、デビュー期の新海さんが「自主制作という手段を選ぶほどに作品を作りたい衝動に襲われていた」という事実に心を奪われたのである。
私は飽き性で興味関心が多方面に及ぶタイプであり、他人に対しての責任がない場合は物事や感情があまり長続きしない。そんな、私には無い「強い執着心」が私の感性を捉えたことに驚き、またひどく憧れたのである。
しかし、憧れというのは目標とは異なる。その証左にいわゆる絵心や美術的センスが無い私は、アニメをつくるといった新海さんの模倣をしようと思ったことは無い(小説について飽き性がたたって挫折したことはあるが、これは新海さんに触れる前で「アリソン」シリーズの影響)。
その代わり、「私」を軸にした気持ちを持つ人は世界を、少なくとも誰かを変える力を持っていることに気づき、そういう人たちが活躍する世界を守りたいと思ったのである。
だからずっとどこかで、「自主制作」を応援したいと思っていた。ただ困ったことに私は自分の感性に触れないと作品(特に物語)を受容しないので(義務的に作品を受け取るのはひどくストレス)、コンテンツ方面の応援は難しかった。
このため、具体的な方法がなかなか思いつかず、大学に入ったあたりからずっと悩んでいた(というか今も悩んでいる)。
例えば、作業を手伝うとかは出来るかもとか、ビジネス的な考えを教えることはできるかもとか、いくつかアプローチをしてきた。
今やっている電子書籍関連も自分の持つスキルで出版したい人を手伝えるだろうと考えて始めたもので、サイトも当初はスモールビジネス情報の提示を目的としていた(最近はぶれてる)。
だが、最近はそれらもしっくりこない感じがしている。ということは、それらは何か外れているということだ。
では、何ならしっくりくるのか。
まだはっきりは分からないが、私は「最適解を考えるのが好き」なようである。すなわちある問題に対して、その問題を抱える人に最も適した解答を与える、あるいは問題解決システムを考えることが好きなのである。
そして、「秒速の衝撃」から自主制作というアート分野に視野が狭まっていたが、本質的には「自分の思いを大切にしたい人の生き方」に心を動かされていた。
この辺りをヒントにすると、「自分を大切にした生き方がしたいが出来ていない、あるいはそれをやりたいがどうしたらいいか分からない人に解決策をアドバイスしたり、ノウハウをシステム化して教えること、その他サポートをすること」が一つの方向性なのではないかという気がするわけである。
あの「秒速の衝撃」からだいたい7年ぐらいだ。あの時の心の高揚を具体化し、誰かの人生を変えてあげたいと強く思う日々である。