僕たちはアートで生きている
この「僕たちはアートで生きている」ということを最近実感的に分かるようになってきました。
今までもそういう感覚はあるにはあったんですが(だからこのサイトのタイトルは「人生は創造だ」なんです)、もっと敷居が高いものというイメージを持っていたのです。
ですが、それは違うんだということに最近気付きました。
なんでもないようなことであっても、アートになりうるのであり、私たちは芸術家なのです。
今までもそういう感覚はあるにはあったんですが(だからこのサイトのタイトルは「人生は創造だ」なんです)、もっと敷居が高いものというイメージを持っていたのです。
ですが、それは違うんだということに最近気付きました。
なんでもないようなことであっても、アートになりうるのであり、私たちは芸術家なのです。
1.アートとは自分が世界をどうとらえているかを示すもの
一般にアートというと絵画や彫刻などがすぐに思い浮かぶと思いますが、私はそれに限らずあらゆるものはアートなのではないか、と思うようになりました。
アートというのは自分がこの世界をどう見ているかを示していれば、それでいいと思うのです。
「この世界は素晴らしく、美しい」と思えばそれを表わせばいいですし、「こんな世界は腐っている、消えてしまえ」と思えばそれを表わせばいいのです。あるいは「何も思わない」ことを示したって構いません。
あらゆるものは世界をどう見るかを示すための媒介、チャンネルとして機能するものです。
例えば、古ぼけたイスがそこにあったとして、それを「年季が入ったいいイスだ」と思えば価値があるようにイスを表現するでしょう。逆に、「ただのボロッちいイスだ」と思えばそのように表現をするはずです。ここから、表現者がその時点において、世界にある「古いもの」に対してどのような価値観を持っているかを示しているわけです。そして、それを感じるのが鑑賞者の役割なわけです。
その表現をより具現化しやすくする手段として、技法やテクニックが存在するわけです。逆に言えば、技法やテクニックがふんだんに詰め込まれていたとしても、表現者の思い(価値観)がそこに無ければそれはアートではありません。
一般にアートというと絵画や彫刻などがすぐに思い浮かぶと思いますが、私はそれに限らずあらゆるものはアートなのではないか、と思うようになりました。
アートというのは自分がこの世界をどう見ているかを示していれば、それでいいと思うのです。
「この世界は素晴らしく、美しい」と思えばそれを表わせばいいですし、「こんな世界は腐っている、消えてしまえ」と思えばそれを表わせばいいのです。あるいは「何も思わない」ことを示したって構いません。
あらゆるものは世界をどう見るかを示すための媒介、チャンネルとして機能するものです。
例えば、古ぼけたイスがそこにあったとして、それを「年季が入ったいいイスだ」と思えば価値があるようにイスを表現するでしょう。逆に、「ただのボロッちいイスだ」と思えばそのように表現をするはずです。ここから、表現者がその時点において、世界にある「古いもの」に対してどのような価値観を持っているかを示しているわけです。そして、それを感じるのが鑑賞者の役割なわけです。
その表現をより具現化しやすくする手段として、技法やテクニックが存在するわけです。逆に言えば、技法やテクニックがふんだんに詰め込まれていたとしても、表現者の思い(価値観)がそこに無ければそれはアートではありません。
2.明日死ぬなら、何を残すか
明日と言わず、今でもいいのですが、「死」というものを皆さんはどう考えているでしょうか。生命はいつか終わりを迎えます。そして、それはいつ訪れるか分かりません。今かもしれないし、明日かもしれない。はたまた、うん十年後かもしれない。
だとしたら、私は自分の持つ何かをこの世界に残したいと思います。そして、それは今まで生まれ死んできたあらゆる生物が行ってきた営みだと考えます。
そもそも地球は小惑星がいくつも衝突して出来たものです。そこに基礎となる原子が備わっていて、それらが反応を繰り返しながら生物が生まれたわけです。つまり、小惑星は衝突し存在を失ったときに、原子を渡してきたわけです。その原子は確実にすべての生物、モノに今もなお受け継がれています。それと同じで私たちは「何も残さない」ことは絶対にできません。それはこの世界の摂理です。必ず「何かは残す」のです。
では、「何を残すのか」。無意識に死んでも、何かは残せますが、どうせならそれは自分で決めたいじゃないですか。そして残したものが別の誰かが生きていく糧(かて)になったらいいと思いませんか? 少なくとも私はそう思っています。
だから、私は明日死ぬとしたら何を残すだろうと最近よく考えています。今の社会は何かを獲得し、何かを得ようと多くの人がもがいています。それはそれで一つの営みですし、それ自体は間違いではないと思います。でも、それだけではだめなんです。今、持っている手持ちのもので、誰かに何かを残すことも大切なことです。
そしてそれは、自分が苦しんだり、他人を蹴落として得たものではなくて、自分の中のエネルギーを最大限注げるもの、内なる声が叫んでいるものであるんじゃないかと思っています。それはきっと、世界で独りぼっちになったとしても持っていたいものです。そして、それをアートと呼ぶのだと私は思うのです。
明日と言わず、今でもいいのですが、「死」というものを皆さんはどう考えているでしょうか。生命はいつか終わりを迎えます。そして、それはいつ訪れるか分かりません。今かもしれないし、明日かもしれない。はたまた、うん十年後かもしれない。
だとしたら、私は自分の持つ何かをこの世界に残したいと思います。そして、それは今まで生まれ死んできたあらゆる生物が行ってきた営みだと考えます。
そもそも地球は小惑星がいくつも衝突して出来たものです。そこに基礎となる原子が備わっていて、それらが反応を繰り返しながら生物が生まれたわけです。つまり、小惑星は衝突し存在を失ったときに、原子を渡してきたわけです。その原子は確実にすべての生物、モノに今もなお受け継がれています。それと同じで私たちは「何も残さない」ことは絶対にできません。それはこの世界の摂理です。必ず「何かは残す」のです。
では、「何を残すのか」。無意識に死んでも、何かは残せますが、どうせならそれは自分で決めたいじゃないですか。そして残したものが別の誰かが生きていく糧(かて)になったらいいと思いませんか? 少なくとも私はそう思っています。
だから、私は明日死ぬとしたら何を残すだろうと最近よく考えています。今の社会は何かを獲得し、何かを得ようと多くの人がもがいています。それはそれで一つの営みですし、それ自体は間違いではないと思います。でも、それだけではだめなんです。今、持っている手持ちのもので、誰かに何かを残すことも大切なことです。
そしてそれは、自分が苦しんだり、他人を蹴落として得たものではなくて、自分の中のエネルギーを最大限注げるもの、内なる声が叫んでいるものであるんじゃないかと思っています。それはきっと、世界で独りぼっちになったとしても持っていたいものです。そして、それをアートと呼ぶのだと私は思うのです。
3.私にとってそれは「詩」かもしれない
ここで急に私事になるんですが、何を残すだろうと考えた時、私にとってそれは「詩」かもしれないなと思うようになりました。
以前から詩はちょこちょこ書いていたのですが(一部は当サイトにも掲載)、あまり意識をしておらず、すごく落ち込んだときとか、「ああああ!」と叫びたくなるようなメンタルになったときに書いてきました。でも、それは私のメンタルの記録なんです。そして、そのとき私が世界をどう見ていたかが自分で後から確認できるものでもあるんです。
クオリティなんてよく分かりません。でも、私は「死を意識することで生きることが出来る」という意識と「何者にもなれない私」という二つの軸で詩を書いていることが多いので、もしかしたら共感してくれる人がいるかもしれません。
だから、もし自分が死んでしまったとして、残すなら自分の詩かな、と。私は、「俺はこう思って生きていたんだ、だから同じ思いをしている人がいたら同じ奴もいるじゃんと思って欲しい」ときっと思います。私自身が詩に限らず、そういうものに触れて動いてきた面もありますからね。
あなたが残すとしたら、何を残しますか?
ここで急に私事になるんですが、何を残すだろうと考えた時、私にとってそれは「詩」かもしれないなと思うようになりました。
以前から詩はちょこちょこ書いていたのですが(一部は当サイトにも掲載)、あまり意識をしておらず、すごく落ち込んだときとか、「ああああ!」と叫びたくなるようなメンタルになったときに書いてきました。でも、それは私のメンタルの記録なんです。そして、そのとき私が世界をどう見ていたかが自分で後から確認できるものでもあるんです。
クオリティなんてよく分かりません。でも、私は「死を意識することで生きることが出来る」という意識と「何者にもなれない私」という二つの軸で詩を書いていることが多いので、もしかしたら共感してくれる人がいるかもしれません。
だから、もし自分が死んでしまったとして、残すなら自分の詩かな、と。私は、「俺はこう思って生きていたんだ、だから同じ思いをしている人がいたら同じ奴もいるじゃんと思って欲しい」ときっと思います。私自身が詩に限らず、そういうものに触れて動いてきた面もありますからね。
あなたが残すとしたら、何を残しますか?
おわりに
なんだか若干壮大な話も盛り込んでしまいましたが、自分が残したいものがはっきりしてくれば、それをビジネスに成長させることだって出来ますし、生きるのに張りが出るんじゃないかあと思います。
ではでは。
なんだか若干壮大な話も盛り込んでしまいましたが、自分が残したいものがはっきりしてくれば、それをビジネスに成長させることだって出来ますし、生きるのに張りが出るんじゃないかあと思います。
ではでは。