電書ちゃんにはブランドがある!
電子書籍界のアイドルを自任する電書ちゃん。私のサイトも何度か電書ちゃんに紹介いただいております。
今回はそんな電書ちゃんにはブランドがあるのではないかという考察記事です。
(なお、これはあくまで外野から眺めた事象を基にした考察です。電書ちゃんの本心とは違う結論になっているのかもしれません)
私は電書ちゃんのブランドについて考えるときには、「連帯感」と「信頼性」がポイントになると思っています。
①連帯感
電書ちゃんは「電子書籍作家のコミュニティづくり」を目的している節があると思っていますが、この目的の達成に大いに貢献しているのは電書ちゃんねるプラスとそのメインコンテンツである「日刊電書ちゃん」(現在休止中)だと思います。
「日刊電書ちゃん」は、電子書籍にまつわるトピックをまとめたものですが、単なるまとめブログを超えています。それは、各トピックに必ずコメントしているからです。読者からすると、何がポイントなのか分かるという利点もありますが、何より電書ちゃんが自分の言葉でものを語っているという点に大きな意味があります。
わざわざまとめて、しかもそれに自分の思いでコメントをつけるというのは大変な労力がかかります。でもこれをすることで、点でしかないトピックが「電書ちゃんにコメントされた」という共通項が誕生し、線になります。より具体的には、「あの」電書ちゃんに取り上げられたという事実がトピックの発信者間で相互承認を促していると思います。(この「あの」という部分がまさにブランドです)
「電書ちゃんに取り上げてもらっているということはそれなりに妥当性がある」という承認です。
通常、お互いの知識や情報を獲得し相互承認が発生すると、連帯感が生まれます。この連帯感こそがコミュニティの存在意義でしょう。点では出来ないことが線で出来るようになり、線が相互承認で面になればより大きなことが出来るようになります。
今、「でんでんアドネット」など新しい試みがなされていますが、あれは面が出来つつあることの証左でしょう。
コミュニティは馴れ合いとは違って、お互いがお互いを対等に認め合う点にポイントがあると思います。認め合っているがゆえに、アドバイスや指摘が出来るという部分もあります。これがため、コミュニティの作成、発展は電子書籍の発展にも大きく寄与すると思います。(物理的な組織化をしないこともポイント)
要するに、電書ちゃんのブログは、点を面にする相互承認の促進、ひいては連帯感の育成に役立っているということです。
②信頼性
しかし、電書ちゃんがいくらトピックをまとめても、電書ちゃんの言動に信頼性が無ければコミュニティの拡大はありません。ですが実際に拡大しているところを見ると、電書ちゃんには信頼性があると言えるでしょう。これはなぜか。私は心理学的な現象に答えがあるとにらんでいます。
心理学で「コストリーシグナル」という考え方があります。これは「よりコストがかかっている情報ほど信用できる」というものです。
例えば、「俺は年収700万」という人が二人いたとして、Aさんは「俺は○○会社の役員だ」、Bさんは「俺は○○会社の社員だ」という場合、どちらをより信用しますか? おそらくAさんだと答える人が多いでしょう。それは「役員」という役職を表明している点が理由です。「役員」になるのは一握りの人間なので難度が高いです。難度が高いのにそこにいるということはそれだけの労力、すなわちコストがかかっているということです。
このようにコストのかかり具合によって、言動の信頼度は大きく変化します。
電書ちゃんの場合、まとめ記事の範囲の広さとコメントをつける労力、Twitterでの情報収集といったコストのかけかたが、周囲に「電書ちゃんは苦労して情報を集め公表している」という認識を与え、「だから電書ちゃんの情報は信用できる」と思わせているのではないかというわけです。
当初は、もっと楽をしようと思っていたようですが(笑、それが叶わず、本人的には不本意だったのかもしれませんが、苦労してブログの制作にとりかかったことが現在につながっているのだと思います。
電書ちゃんのブランドとは?
では、電書ちゃんのブランドとは何か。今までの考察を整理すると、
機能面では「コミュニティへの参加を促進してくれる」
情緒面では「認めてくれる」
になると思います。
総じて言えば、「あなたは立派よ。だからあたしやみんなとおしゃべりしましょ」と言いながら手を引っ張ってくれる「近所の世話好きなお姉さん」みたいな感じです。ま、まあ、私の単なる趣味かもしれませんが……。
さて、こう考えると、日刊を続けるか否かも微妙な問題です。電書ちゃんはすでにある程度のブランド力を手に入れていると言えます。その中でしんどいコストをかけて日刊を出す必要があるのかは要検討ではないかと思えます。
あるに越したことはありませんが、きつすぎて電書ちゃんのブランドが消滅してしまうほうがマイナスだと思います。日刊を出すことが電書ちゃんの目的ではないと思うので(私も楽しんではいましたが)。
それよりも「世話好きなお姉さん」として、コミュニティの維持・発展に役立つ試みを色々と続ける方がいいのではと個人的には思います。その意味で中立である必要もあまり無いと思います。誰かを排除してはいけないとは思いますが、「世話好き」なブランドがあるとすれば、多少偏った応援をしたってバチはあたらないのではないでしょうか。
最後に
電書ちゃんのブランドは、今後セルフパブリッシングや電子書籍そのものの普及について大きな資産になると思います。ブランドは人が何かを選択するときにその選択を容易にしてくれる貴重なツールです。これから電子書籍界に足を踏み入れる人にとって、電書ちゃんの存在とブランドは大きな意味を持つようになると私は考えています。
電書ちゃんには、これからも赤い髪を振り乱して、インターネットという舞台の上で活躍し続けて欲しいです。
今回はそんな電書ちゃんにはブランドがあるのではないかという考察記事です。
(なお、これはあくまで外野から眺めた事象を基にした考察です。電書ちゃんの本心とは違う結論になっているのかもしれません)
私は電書ちゃんのブランドについて考えるときには、「連帯感」と「信頼性」がポイントになると思っています。
①連帯感
電書ちゃんは「電子書籍作家のコミュニティづくり」を目的している節があると思っていますが、この目的の達成に大いに貢献しているのは電書ちゃんねるプラスとそのメインコンテンツである「日刊電書ちゃん」(現在休止中)だと思います。
「日刊電書ちゃん」は、電子書籍にまつわるトピックをまとめたものですが、単なるまとめブログを超えています。それは、各トピックに必ずコメントしているからです。読者からすると、何がポイントなのか分かるという利点もありますが、何より電書ちゃんが自分の言葉でものを語っているという点に大きな意味があります。
わざわざまとめて、しかもそれに自分の思いでコメントをつけるというのは大変な労力がかかります。でもこれをすることで、点でしかないトピックが「電書ちゃんにコメントされた」という共通項が誕生し、線になります。より具体的には、「あの」電書ちゃんに取り上げられたという事実がトピックの発信者間で相互承認を促していると思います。(この「あの」という部分がまさにブランドです)
「電書ちゃんに取り上げてもらっているということはそれなりに妥当性がある」という承認です。
通常、お互いの知識や情報を獲得し相互承認が発生すると、連帯感が生まれます。この連帯感こそがコミュニティの存在意義でしょう。点では出来ないことが線で出来るようになり、線が相互承認で面になればより大きなことが出来るようになります。
今、「でんでんアドネット」など新しい試みがなされていますが、あれは面が出来つつあることの証左でしょう。
コミュニティは馴れ合いとは違って、お互いがお互いを対等に認め合う点にポイントがあると思います。認め合っているがゆえに、アドバイスや指摘が出来るという部分もあります。これがため、コミュニティの作成、発展は電子書籍の発展にも大きく寄与すると思います。(物理的な組織化をしないこともポイント)
要するに、電書ちゃんのブログは、点を面にする相互承認の促進、ひいては連帯感の育成に役立っているということです。
②信頼性
しかし、電書ちゃんがいくらトピックをまとめても、電書ちゃんの言動に信頼性が無ければコミュニティの拡大はありません。ですが実際に拡大しているところを見ると、電書ちゃんには信頼性があると言えるでしょう。これはなぜか。私は心理学的な現象に答えがあるとにらんでいます。
心理学で「コストリーシグナル」という考え方があります。これは「よりコストがかかっている情報ほど信用できる」というものです。
例えば、「俺は年収700万」という人が二人いたとして、Aさんは「俺は○○会社の役員だ」、Bさんは「俺は○○会社の社員だ」という場合、どちらをより信用しますか? おそらくAさんだと答える人が多いでしょう。それは「役員」という役職を表明している点が理由です。「役員」になるのは一握りの人間なので難度が高いです。難度が高いのにそこにいるということはそれだけの労力、すなわちコストがかかっているということです。
このようにコストのかかり具合によって、言動の信頼度は大きく変化します。
電書ちゃんの場合、まとめ記事の範囲の広さとコメントをつける労力、Twitterでの情報収集といったコストのかけかたが、周囲に「電書ちゃんは苦労して情報を集め公表している」という認識を与え、「だから電書ちゃんの情報は信用できる」と思わせているのではないかというわけです。
当初は、もっと楽をしようと思っていたようですが(笑、それが叶わず、本人的には不本意だったのかもしれませんが、苦労してブログの制作にとりかかったことが現在につながっているのだと思います。
電書ちゃんのブランドとは?
では、電書ちゃんのブランドとは何か。今までの考察を整理すると、
機能面では「コミュニティへの参加を促進してくれる」
情緒面では「認めてくれる」
になると思います。
総じて言えば、「あなたは立派よ。だからあたしやみんなとおしゃべりしましょ」と言いながら手を引っ張ってくれる「近所の世話好きなお姉さん」みたいな感じです。ま、まあ、私の単なる趣味かもしれませんが……。
さて、こう考えると、日刊を続けるか否かも微妙な問題です。電書ちゃんはすでにある程度のブランド力を手に入れていると言えます。その中でしんどいコストをかけて日刊を出す必要があるのかは要検討ではないかと思えます。
あるに越したことはありませんが、きつすぎて電書ちゃんのブランドが消滅してしまうほうがマイナスだと思います。日刊を出すことが電書ちゃんの目的ではないと思うので(私も楽しんではいましたが)。
それよりも「世話好きなお姉さん」として、コミュニティの維持・発展に役立つ試みを色々と続ける方がいいのではと個人的には思います。その意味で中立である必要もあまり無いと思います。誰かを排除してはいけないとは思いますが、「世話好き」なブランドがあるとすれば、多少偏った応援をしたってバチはあたらないのではないでしょうか。
最後に
電書ちゃんのブランドは、今後セルフパブリッシングや電子書籍そのものの普及について大きな資産になると思います。ブランドは人が何かを選択するときにその選択を容易にしてくれる貴重なツールです。これから電子書籍界に足を踏み入れる人にとって、電書ちゃんの存在とブランドは大きな意味を持つようになると私は考えています。
電書ちゃんには、これからも赤い髪を振り乱して、インターネットという舞台の上で活躍し続けて欲しいです。