自己責任を恐れるな!(前編)
皆さんは責任と聞くと何を思い浮かべるでしょうか。責任は漢文的に言えば「責めに任ず」、英語で言えばresponsibilityです。要するに、「やらなければならないこと」あるいは「対処、応答しなければならないこと」ということですね。
ですが、日本では色々な意味で使われています。
特に現代社会では「自己責任」という言葉が日々飛び交っています。社会の常識に抗う人は自己責任という圧力にさらされていて、そのために行動が制限されている場合もあります。
しかし、自己責任という言葉を過度に恐れなくてもいいのではないかと私は考えています。今回はそんなお話のシリーズです。
これを考えるためにまずは日本でいう責任の機能について考えてから、個人に降りかかる自己責任という言葉を考えてみましょう。
1.抑止力としての責任
まず考えられる責任の機能が抑止力です。
一番分かりやすい例としては、宿題を忘れて先生に怒られたという場合。このとき、生徒には宿題をする義務があると考えられ、その義務が不履行だったために責任をとって怒られた、という構図になります。
生徒はどうして宿題をするのか。しなければならないものだからですが、実のところ、先生に怒られたくないからではないでしょうか。あるいは成績を下げたくないからかもしれません(勉強が好きだからという人もいるでしょうが)。
私たちは多くの場合、行為Aをしないことによって生じる不利益(すなわち責任をとること)を回避するために、行為Aを行うという判断を下しているのではないかということです。逆の場合もまたしかり(行為をすることでの不利益を回避するためにその行為をしない)。
これを他人に言う場合がありますよね。つまり、「責任はお前がとれよ」という場合です。これはまさに抑止力として責任が機能しているわけです。責任=不利益を回避するには、無茶は禁物です。無茶をすれば不利益を被る可能性は高くなりますからね。したがって、責任を相手に負わせることで、相手に無難な行為を選択させることが可能になるというわけです。
2.無関心になるための責任
ところが、責任は必ずしも抑止力として機能するとは限らないのです。単なる保身の場合もありあります。「責任はお前がとれ」という場合、自分を利害の当事者関係から離脱させ、傍観者もしくは可哀想な従者に位置づけることが出来るからです。この場合は、抑止力ではないので相手が何をしようとも構わないということになります。こう考えると保身は無関心になることと等しくなります。
この「抑止力」と「無関心」を我々はどのように使い分けているのでしょうか。
結論から言えば、それは不利益(獲得量-損失量がマイナス)の程度です。自らが被る不利益が甚大であればあるほど、責任は抑止力として機能します。一方で、不利益が大したことが無い場合もしくは相手方と比較して不利益の具合が低いときには、保身の結果、無関心となるわけです。
3.転嫁のための責任
ここまで、私は、言うなればAさんに特化して責任を語ってきています。「自分が不利益を被る場合にその不利益を回避する」もしくは「不利益の程度が低いので、無関心になる」です。しかし、実はもうワンパターンあります。これが最も厄介です。
通常、行為には利益が存在します(ゆえに不利益のリスクもあります)。人間というのは利益を得たい生物です。しかも、利益はそれすなわち価値となります。利益をたくさん得る人は価値がある人物とみなされるのです。ということは、事実はともかく自分の功績で利益を得たとすれば周囲から価値のある人物とみなされるということになります。
本来、利益を得る人物と不利益を被る、すなわち責任を負う人物は同一です。しかし、現実にはこれが一致しない場合が往々にしてあるのです。ある人物のみが利益を得て、ある人物のみが不利益を被る構図です。
「うちの会社の上司は手柄は自分に、責任は部下になんだよね」という愚痴が聞かれますが、これはまさに利益を得る人物と不利益を被る人物の不一致であることを示しています。こういうものは一般に「責任転嫁」と呼ばれます。
また、ここまで露骨にとは行かずとも、実質的にはこれと同じことが起こる場合もあります。これは政治の世界でよく見られるものです。責任をとったと主張していても、実質的にはなんら不利益を被っていない(あるいは不利益が少ない)という場合です。
まとめると、責任という場合にはいくつかパターンがあるのです。
A:利益を得る人物と不利益を被る人物が一致している
☆自分の行動の判断材料として使用
①抑止力(不利益回避)として機能
☆誰かに任せる(連帯責任が発生する)場合
・不利益が大きい(自分の不利益>任せた側の不利益)
②抑止力(不利益回避)としての機能
・不利益が小さい(自分の不利益<任せた側の不利益)
③無関心化するために機能
B:利益を得る人物と不利益を被る人物が不一致
④責任転嫁のために機能
このように整理すると、自己責任論を少し冷静に見ることができるようになります。
次回はこれをふまえて、各種の場合にどのような対応をとるべきか。そして、自己責任の大いなる誤解について書いていきたいと思います。
ですが、日本では色々な意味で使われています。
特に現代社会では「自己責任」という言葉が日々飛び交っています。社会の常識に抗う人は自己責任という圧力にさらされていて、そのために行動が制限されている場合もあります。
しかし、自己責任という言葉を過度に恐れなくてもいいのではないかと私は考えています。今回はそんなお話のシリーズです。
これを考えるためにまずは日本でいう責任の機能について考えてから、個人に降りかかる自己責任という言葉を考えてみましょう。
1.抑止力としての責任
まず考えられる責任の機能が抑止力です。
一番分かりやすい例としては、宿題を忘れて先生に怒られたという場合。このとき、生徒には宿題をする義務があると考えられ、その義務が不履行だったために責任をとって怒られた、という構図になります。
生徒はどうして宿題をするのか。しなければならないものだからですが、実のところ、先生に怒られたくないからではないでしょうか。あるいは成績を下げたくないからかもしれません(勉強が好きだからという人もいるでしょうが)。
私たちは多くの場合、行為Aをしないことによって生じる不利益(すなわち責任をとること)を回避するために、行為Aを行うという判断を下しているのではないかということです。逆の場合もまたしかり(行為をすることでの不利益を回避するためにその行為をしない)。
これを他人に言う場合がありますよね。つまり、「責任はお前がとれよ」という場合です。これはまさに抑止力として責任が機能しているわけです。責任=不利益を回避するには、無茶は禁物です。無茶をすれば不利益を被る可能性は高くなりますからね。したがって、責任を相手に負わせることで、相手に無難な行為を選択させることが可能になるというわけです。
2.無関心になるための責任
ところが、責任は必ずしも抑止力として機能するとは限らないのです。単なる保身の場合もありあります。「責任はお前がとれ」という場合、自分を利害の当事者関係から離脱させ、傍観者もしくは可哀想な従者に位置づけることが出来るからです。この場合は、抑止力ではないので相手が何をしようとも構わないということになります。こう考えると保身は無関心になることと等しくなります。
この「抑止力」と「無関心」を我々はどのように使い分けているのでしょうか。
結論から言えば、それは不利益(獲得量-損失量がマイナス)の程度です。自らが被る不利益が甚大であればあるほど、責任は抑止力として機能します。一方で、不利益が大したことが無い場合もしくは相手方と比較して不利益の具合が低いときには、保身の結果、無関心となるわけです。
3.転嫁のための責任
ここまで、私は、言うなればAさんに特化して責任を語ってきています。「自分が不利益を被る場合にその不利益を回避する」もしくは「不利益の程度が低いので、無関心になる」です。しかし、実はもうワンパターンあります。これが最も厄介です。
通常、行為には利益が存在します(ゆえに不利益のリスクもあります)。人間というのは利益を得たい生物です。しかも、利益はそれすなわち価値となります。利益をたくさん得る人は価値がある人物とみなされるのです。ということは、事実はともかく自分の功績で利益を得たとすれば周囲から価値のある人物とみなされるということになります。
本来、利益を得る人物と不利益を被る、すなわち責任を負う人物は同一です。しかし、現実にはこれが一致しない場合が往々にしてあるのです。ある人物のみが利益を得て、ある人物のみが不利益を被る構図です。
「うちの会社の上司は手柄は自分に、責任は部下になんだよね」という愚痴が聞かれますが、これはまさに利益を得る人物と不利益を被る人物の不一致であることを示しています。こういうものは一般に「責任転嫁」と呼ばれます。
また、ここまで露骨にとは行かずとも、実質的にはこれと同じことが起こる場合もあります。これは政治の世界でよく見られるものです。責任をとったと主張していても、実質的にはなんら不利益を被っていない(あるいは不利益が少ない)という場合です。
まとめると、責任という場合にはいくつかパターンがあるのです。
A:利益を得る人物と不利益を被る人物が一致している
☆自分の行動の判断材料として使用
①抑止力(不利益回避)として機能
☆誰かに任せる(連帯責任が発生する)場合
・不利益が大きい(自分の不利益>任せた側の不利益)
②抑止力(不利益回避)としての機能
・不利益が小さい(自分の不利益<任せた側の不利益)
③無関心化するために機能
B:利益を得る人物と不利益を被る人物が不一致
④責任転嫁のために機能
このように整理すると、自己責任論を少し冷静に見ることができるようになります。
次回はこれをふまえて、各種の場合にどのような対応をとるべきか。そして、自己責任の大いなる誤解について書いていきたいと思います。
後編へ続く!