自己責任を恐れるな!(後編)
1.個人活動にふりかかる自己責任
このサイトを見ている人はおそらく自分で何かしようと思っている人だと思います。そういう人は常に自己責任という言葉の恐怖と闘っています。
確かに誰も助けてくれないという状況は恐怖以外の何物でもありません。不安ばかりが増大します。
そういう場合は自己責任のパターンを思い出してください。その自己責任を負わせている人(自分含)は、どのパターンで言ってきているのか。以下でそれぞれ確認してみましょう。なお、「利益」「不利益」という言葉を使っていますが、これは金銭的なものに限らず、精神的なものなども含んでいます。
①(自分の行動基準)の場合。これは概して自分が自分で言っています。確かに不利益は恐いです。あまりに無茶なこと(以降の人生が完全にストップしてしまうレベル)はこれで抑止しておくべきです。ですが、たいていは「案ずるより産むが易し」な事柄です。それに、不利益のリスクはあっても利益を得たいと思ったからそれを考えたわけなので、止めてしまわないで不利益を極力減らして利益を得られる方法を考えてみるとよろしいんじゃないかなと思います。
②(他人に対しての抑止力)の場合。これは相手の方が自分より自分の失敗を恐がっている場合です。ビジネスライクな世界ではちょっとドライですが、日常では心配されている場合が多いでしょう。こういう場合は相手の不利益を減らすかたちで動く必要があります。時に、自分の行動を少し削ることで結果的に広く行動できるようにするなどのちょっと戦略的な対応をしなければいけないかもしれません。切ってしまうという選択肢もなくはないのですが、心配してくれている場合は適切な距離をとりつつも関係を大事にしておくのがいいんじゃないのかなと私は思います。
③(他人に対しての無関心)の場合。これは放っておきましょう。「そんなことは分かってる」と言っておけば特に問題はないです。
④(責任転嫁)の場合。個人でこれがふりりかる場合は多くないです。たいては組織的な構図で起こるので。仮に起こってしまったら、異議申し立てできる関係を持っておくと何かと気楽かと思います。自分が利益を得られないのに責任を負わされるなんておかしいですからね。
このように分類すると必要以上に負担に思わなくてよいと思います。
2.自己責任への誤解
さて、私は自己責任には大きな誤解があると感じています。よく「自由には責任がある」と言います。確かに自由はそれとひきかえに適切な責任を負います。日本は基本的には自由主義ですから、それはおかしくありません。
しかし、自分の行為で責任を負った、すなわちリスクを被った人はどうすればいいのでしょう。そのリスクを背負いっぱなしでなんの救いもないのでしょうか。
それは間違っていると私は思います。
確かにリスクを背負わないといけません。そのリスクを他人に転嫁しないことを前提に自由に行動を行うことが出来ますからね。しかし、そのリスクが多大であり、にっちもさっちもいかない状況になった場合にSOSを発信する自由もまたあるのです。
というか、自由であるということは自分で幸福を目指すものであると同時に、不幸を脱する自由でもあるわけです。その行為を制限する権利は誰にもありません。その方法も合法的範囲であれば自由に選択できます(他人の助けを借りることも当然ありです)。
よく困った状態にあるときに「助けて」と叫んでも、「それは自己責任だから助けなくてもよい」というような議論が起こる場合がありますが、あれは責任を無関心もしくは責任転嫁に使っているがゆえに発生する間違った主張です。自由を都合よく解釈してはいけません。
例えば、投資についてはリターンを得る可能性と引き換えに元本割れのリスクを負うわけです。その元本割れについてはどうにもなりません。それについてはしょうがないのですが、それで生活が破綻してしまったという場合に一切なんの対策もしなくてよいということにはなりません。自由主義である社会では、社会が人々が自由に行動できるスタートラインまでは保障する必要があるというのが私の考えです。それゆえに自己破産などの制度があるわけです。
3.まとめ
というわけで、自己責任という言葉はリスクを背負う代わりに自分の自由にリターンを求めることが出来ることができるものであると同時にリスクを背負うことを本来指しています。ただし、社会では必ずしもそうは使われておらず、無関心や責任転嫁のために使われるケースもあるので、それを見抜いて必要以上に恐れないことが必要であると思います。
また、自己責任という考えにおいても、リスクを被ったあとにそれ以上の状況を甘受する必要はなく、SOSを出す権利はありますし、手を差し伸べてくれる人がいるのならその手をつかんでもいいのです。
だから、必要以上に自己責任という言葉を恐れる必要はありません!むしろ責任と同時に自分が思う幸福な状況に自由な手段で向かえるという素晴らしさがあります。
私の自分のペースで自分が思う幸福な生活をつかむことが出来るように頑張ってまいりたいと思います!
このサイトを見ている人はおそらく自分で何かしようと思っている人だと思います。そういう人は常に自己責任という言葉の恐怖と闘っています。
確かに誰も助けてくれないという状況は恐怖以外の何物でもありません。不安ばかりが増大します。
そういう場合は自己責任のパターンを思い出してください。その自己責任を負わせている人(自分含)は、どのパターンで言ってきているのか。以下でそれぞれ確認してみましょう。なお、「利益」「不利益」という言葉を使っていますが、これは金銭的なものに限らず、精神的なものなども含んでいます。
①(自分の行動基準)の場合。これは概して自分が自分で言っています。確かに不利益は恐いです。あまりに無茶なこと(以降の人生が完全にストップしてしまうレベル)はこれで抑止しておくべきです。ですが、たいていは「案ずるより産むが易し」な事柄です。それに、不利益のリスクはあっても利益を得たいと思ったからそれを考えたわけなので、止めてしまわないで不利益を極力減らして利益を得られる方法を考えてみるとよろしいんじゃないかなと思います。
②(他人に対しての抑止力)の場合。これは相手の方が自分より自分の失敗を恐がっている場合です。ビジネスライクな世界ではちょっとドライですが、日常では心配されている場合が多いでしょう。こういう場合は相手の不利益を減らすかたちで動く必要があります。時に、自分の行動を少し削ることで結果的に広く行動できるようにするなどのちょっと戦略的な対応をしなければいけないかもしれません。切ってしまうという選択肢もなくはないのですが、心配してくれている場合は適切な距離をとりつつも関係を大事にしておくのがいいんじゃないのかなと私は思います。
③(他人に対しての無関心)の場合。これは放っておきましょう。「そんなことは分かってる」と言っておけば特に問題はないです。
④(責任転嫁)の場合。個人でこれがふりりかる場合は多くないです。たいては組織的な構図で起こるので。仮に起こってしまったら、異議申し立てできる関係を持っておくと何かと気楽かと思います。自分が利益を得られないのに責任を負わされるなんておかしいですからね。
このように分類すると必要以上に負担に思わなくてよいと思います。
2.自己責任への誤解
さて、私は自己責任には大きな誤解があると感じています。よく「自由には責任がある」と言います。確かに自由はそれとひきかえに適切な責任を負います。日本は基本的には自由主義ですから、それはおかしくありません。
しかし、自分の行為で責任を負った、すなわちリスクを被った人はどうすればいいのでしょう。そのリスクを背負いっぱなしでなんの救いもないのでしょうか。
それは間違っていると私は思います。
確かにリスクを背負わないといけません。そのリスクを他人に転嫁しないことを前提に自由に行動を行うことが出来ますからね。しかし、そのリスクが多大であり、にっちもさっちもいかない状況になった場合にSOSを発信する自由もまたあるのです。
というか、自由であるということは自分で幸福を目指すものであると同時に、不幸を脱する自由でもあるわけです。その行為を制限する権利は誰にもありません。その方法も合法的範囲であれば自由に選択できます(他人の助けを借りることも当然ありです)。
よく困った状態にあるときに「助けて」と叫んでも、「それは自己責任だから助けなくてもよい」というような議論が起こる場合がありますが、あれは責任を無関心もしくは責任転嫁に使っているがゆえに発生する間違った主張です。自由を都合よく解釈してはいけません。
例えば、投資についてはリターンを得る可能性と引き換えに元本割れのリスクを負うわけです。その元本割れについてはどうにもなりません。それについてはしょうがないのですが、それで生活が破綻してしまったという場合に一切なんの対策もしなくてよいということにはなりません。自由主義である社会では、社会が人々が自由に行動できるスタートラインまでは保障する必要があるというのが私の考えです。それゆえに自己破産などの制度があるわけです。
3.まとめ
というわけで、自己責任という言葉はリスクを背負う代わりに自分の自由にリターンを求めることが出来ることができるものであると同時にリスクを背負うことを本来指しています。ただし、社会では必ずしもそうは使われておらず、無関心や責任転嫁のために使われるケースもあるので、それを見抜いて必要以上に恐れないことが必要であると思います。
また、自己責任という考えにおいても、リスクを被ったあとにそれ以上の状況を甘受する必要はなく、SOSを出す権利はありますし、手を差し伸べてくれる人がいるのならその手をつかんでもいいのです。
だから、必要以上に自己責任という言葉を恐れる必要はありません!むしろ責任と同時に自分が思う幸福な状況に自由な手段で向かえるという素晴らしさがあります。
私の自分のペースで自分が思う幸福な生活をつかむことが出来るように頑張ってまいりたいと思います!