日刊言の葉・Vol.11「自己犠牲の不経済」
自己犠牲は素晴らしいという感じの言説があったりしますが、これは本当でしょうか。今回はそんなことを考える言葉です。
紅葉「人の幸せしか考えられない人は、いつか自分自身を破滅させるわ」
(貧乏神が! 第13話より)
何でもそうですが、生物は利益がなければ代償を支払いません。その利益は様々で一様には言えないものの、一方がただただ不利益を被る行動は通常しないでしょう。
これと同じで人間も自らにメリットがないことは基本的にしません。また、自己保存の欲求が第一に来ますから死につながることはできないのが通常です。
ところが私たちには社会性というものが存在し、他人のことを考えたり、未来を予測する能力が身についています。ここが多くの動物とは異なるところで、社会性が強い人ほど動物としての人間の側面を超えた行動を起こすことがあります。これが自己犠牲です。
自己犠牲といっても大きく二種類あります。一つは生命コストを支払うもの。もう一つは非生命コストを支払うものです。生命コストにつながるケースはかなり緊急を要するものなので、あまり理屈をこねて云々とは言いにくい面があります。逆に非生命コストを支払う場合は、日常生活でよく見られるので議論が可能です。今回もだいたいは後者の話をします。
優しい人、要するに社会性が強い人というのは自己犠牲をしがちです。自分の犠牲で相手が喜ぶことが分かるからです。一応利益として感謝や精神的報酬は受け取っているものの、明らかにそれがコストを下回っている場合が多いと思います。そういうことを積み重ねていると、時に非生命コストだったはずが生命コストに転化してしまうことがあります。いわゆる過労というやつです。これが起こると、その人がいたことでまわっていたものがまわらなくなるという事態が発生します。これは結局、その組織などにとっては大きな不経済ですよね。
私も比較的自己犠牲しがちな人間なので、気持ちはよく分かるのですが、最終的に大きな不経済になるのなら小さな不経済にとどめるために自己犠牲精神はいったんおさえて、自分を大事にしてみてはいかがでしょう。あなたが休むことは結果的に経済的なことをしていると言えるかもしれませんよ。
これと同じで人間も自らにメリットがないことは基本的にしません。また、自己保存の欲求が第一に来ますから死につながることはできないのが通常です。
ところが私たちには社会性というものが存在し、他人のことを考えたり、未来を予測する能力が身についています。ここが多くの動物とは異なるところで、社会性が強い人ほど動物としての人間の側面を超えた行動を起こすことがあります。これが自己犠牲です。
自己犠牲といっても大きく二種類あります。一つは生命コストを支払うもの。もう一つは非生命コストを支払うものです。生命コストにつながるケースはかなり緊急を要するものなので、あまり理屈をこねて云々とは言いにくい面があります。逆に非生命コストを支払う場合は、日常生活でよく見られるので議論が可能です。今回もだいたいは後者の話をします。
優しい人、要するに社会性が強い人というのは自己犠牲をしがちです。自分の犠牲で相手が喜ぶことが分かるからです。一応利益として感謝や精神的報酬は受け取っているものの、明らかにそれがコストを下回っている場合が多いと思います。そういうことを積み重ねていると、時に非生命コストだったはずが生命コストに転化してしまうことがあります。いわゆる過労というやつです。これが起こると、その人がいたことでまわっていたものがまわらなくなるという事態が発生します。これは結局、その組織などにとっては大きな不経済ですよね。
私も比較的自己犠牲しがちな人間なので、気持ちはよく分かるのですが、最終的に大きな不経済になるのなら小さな不経済にとどめるために自己犠牲精神はいったんおさえて、自分を大事にしてみてはいかがでしょう。あなたが休むことは結果的に経済的なことをしていると言えるかもしれませんよ。