日刊言の葉・Vol.23「自己啓発との付き合い方」
このサイトも含め自己啓発系統のものを見ていると、「あなたが主役」であるとか、「主体的に」というようなニュアンスの言葉がよくでてきます。
でも、そういうものを見て「でも自分はそういうタイプじゃないしなあ」と思うことありませんか? 私自身、人を引っ張るタイプでもなく、強く引っ張られるのも嫌なので、自己啓発系統でもやたら精神論が多かったり、上から目線のものは受けつけない傾向にあります。そういう人はいったいどうすればいいのでしょうか。
でも、そういうものを見て「でも自分はそういうタイプじゃないしなあ」と思うことありませんか? 私自身、人を引っ張るタイプでもなく、強く引っ張られるのも嫌なので、自己啓発系統でもやたら精神論が多かったり、上から目線のものは受けつけない傾向にあります。そういう人はいったいどうすればいいのでしょうか。
全員がビジョンリーダーになる必要なんてない。真っ当なことをしているなと思う人を応援したり、ついていくことだけでもいいんです。
(朝日新聞 2015/12/20 28面 仕事力 談・西條剛央より)
人にはそれぞれ持ち味があります。その持ち味をどう活かして、目的を達成するのかが人生では重要です。そして、その持ち味と現在の手法がズレているときにそれを修正することが自己啓発の大きな意味です。
手法がズレているときというのは他人の価値観、社会の価値観で動いている場合が多いので、自己啓発ではその状況を脱させるために個人としての思考を要求します。そういうこともあって「あなたが主役」ということが強調されることが多いのですね。
それはそれでいいのですが、本来は個人で何かをすることが目的ではないので、思考した結果の適切なプロセスを経て組織に所属することは何ら問題ありません。むしろ組織にいる方が力を発揮する人もいるので、個人に固執しない方がいいのですね。
私なんかも今は個人ですが、元来誰かと行動する方が色々出来るタイプです。ただ、信頼を置ける人とでないと組みたくないということもあって、今は個人であれこれ試しているわけです。
というわけで、自分は個人向きでないという場合は、信頼のおける人のところに飛び込んでもOKです。自分の価値観でそう思ったのならそれが妥当な選択ということになりますから。自己啓発といっても書いている本人で上手くいっただけでそれが正しいわけではないので、上手に付き合っていければいいんじゃないかなと思います。
手法がズレているときというのは他人の価値観、社会の価値観で動いている場合が多いので、自己啓発ではその状況を脱させるために個人としての思考を要求します。そういうこともあって「あなたが主役」ということが強調されることが多いのですね。
それはそれでいいのですが、本来は個人で何かをすることが目的ではないので、思考した結果の適切なプロセスを経て組織に所属することは何ら問題ありません。むしろ組織にいる方が力を発揮する人もいるので、個人に固執しない方がいいのですね。
私なんかも今は個人ですが、元来誰かと行動する方が色々出来るタイプです。ただ、信頼を置ける人とでないと組みたくないということもあって、今は個人であれこれ試しているわけです。
というわけで、自分は個人向きでないという場合は、信頼のおける人のところに飛び込んでもOKです。自分の価値観でそう思ったのならそれが妥当な選択ということになりますから。自己啓発といっても書いている本人で上手くいっただけでそれが正しいわけではないので、上手に付き合っていければいいんじゃないかなと思います。