日刊言の葉・Vol.21「自分を知る方法」
自分とはいったい何者でどういう人間なのか。これを知ることは容易ではないように思えます。一人でうーんうーんと悩んでいても、なかなか答えは出てこないものですよね。
そこで、案外簡単に分かる方法をちょっと学術的な言葉からひもといてみましょう。
そこで、案外簡単に分かる方法をちょっと学術的な言葉からひもといてみましょう。
人は他人という鏡に映った自己を認識することで自我を得る
(チャールズ・クーリー・要旨)
この言葉というか理論はアメリカの社会学者チャールズ・クーリーが提唱したもので、「鏡に映った自我」理論と呼ばれます。現在でも社会心理学の分野では重要な考え方です。
要するに、私たちは自分というものを他人とのコミュニケーションを通じて理解しているということです。
で、私たちはほとんどの場合、常時多くの人とコミュニケーションをとりますし、家族や友人、恋人、近所の人など近しい人物となればかなり密接なコミュニケーションをとります。
ということは、実はすでに私たちは自分の姿を知っているのです。「こんなのは本当の私じゃない」という言葉がありますが、あれは「本当の欲求を出せない性格」であることを理解している裏返しです。
自己分析が難しいのはその理解を言語化することが難しいという意味です。ならどう言語化すればいいのか。先ほど書いたように他人とのコミュニケーションを通じて自己を理解するのですから、シチュエーションごとの自分をアウトプットしていって、必要なカテゴリー(例えば、長所)に沿ったものを抽出し、その共通点をさぐるといったことが考えられます。
ちなみに本当の自分と自分の欲求は別物です。欲求は変わります。でも自分は変わりません(ただし、新しい自分を発見することはあります)。本当の自分が分からないと言う人は、実際は本当の欲求が分からないのです。だって、自分そのものは生活をする中で無意識に理解しているのですから。
本当の欲求は、社会的価値から離れた自分がやりたいからやるのだというものを積み重ねていく中で理解できるようになります。逆に社会的価値観にどっぷりはまってしまうと社会が求める欲求を自分も求めるようになってしまい、自分が本当は何がしたいのか分からなくなってしまうのです。
ということで、ざっくりまとめると、「本当の自分で悩む必要はない。それはもう分かっているから」ということになりますね。
要するに、私たちは自分というものを他人とのコミュニケーションを通じて理解しているということです。
で、私たちはほとんどの場合、常時多くの人とコミュニケーションをとりますし、家族や友人、恋人、近所の人など近しい人物となればかなり密接なコミュニケーションをとります。
ということは、実はすでに私たちは自分の姿を知っているのです。「こんなのは本当の私じゃない」という言葉がありますが、あれは「本当の欲求を出せない性格」であることを理解している裏返しです。
自己分析が難しいのはその理解を言語化することが難しいという意味です。ならどう言語化すればいいのか。先ほど書いたように他人とのコミュニケーションを通じて自己を理解するのですから、シチュエーションごとの自分をアウトプットしていって、必要なカテゴリー(例えば、長所)に沿ったものを抽出し、その共通点をさぐるといったことが考えられます。
ちなみに本当の自分と自分の欲求は別物です。欲求は変わります。でも自分は変わりません(ただし、新しい自分を発見することはあります)。本当の自分が分からないと言う人は、実際は本当の欲求が分からないのです。だって、自分そのものは生活をする中で無意識に理解しているのですから。
本当の欲求は、社会的価値から離れた自分がやりたいからやるのだというものを積み重ねていく中で理解できるようになります。逆に社会的価値観にどっぷりはまってしまうと社会が求める欲求を自分も求めるようになってしまい、自分が本当は何がしたいのか分からなくなってしまうのです。
ということで、ざっくりまとめると、「本当の自分で悩む必要はない。それはもう分かっているから」ということになりますね。