日刊言の葉・Vol.19「自分であり続けることが大事」
自分とは何者か。どんな人間なのか。一度はぶつかる壁です。しかし、多くの人は途中でそれを思考し続けることをやめ、周囲にアイデンティティを求めるようになってしまいます。今回はそれへの警鐘です。
「自分自身であり続けることは、とても大変なことなのです。
しかし、同調圧力に屈し、人間が自分自身であることをあることをやめた時、第三者の手にその人生は奪われます。」
(朝日新聞2015/11/22 13面 仕事力 談・中野信子より)
同調圧力というのは恐ろしいもので、人の意思決定にどんどん介入してきます。
しかし冷静に見てみると、同調圧力と言えども、要は他人の意見です。自分の意見とは何も関係がありません。それなのに、私たちはそれを言ってしまった後やそれを続けることで自分を襲うかもしれない不利益と日夜戦っています。
同調圧力は普段の言動に留まらず、自分のアイデンティティを求めることにも及びます。実際、自分探しなど無駄という論調があるような気がしませんでしょうか。私は自分探し自体は大事なことだと考えています。自分を見つけられないままでいると人生の質に関わると思うからです。もちろんどこかに旅に出て……ということが自分探しの本質ではないので、そういう意味では無駄という意見にも一理ありますが。
とはいえ、自分なんてそう簡単に見つかりませんから、それだけの時間と労力をかける必要があります。これに耐えられるかです。そして、仮に一応の答えを見つけたとしてもそれを受け入れて社会と相対せるかという問題があります。
基本的に社会というのは同質化を本質として持つので、個性豊かという状態は良しとされないことが多いです。そのため、社会としてはあまりそういうことを考えてほしくないのですね。ゆえに、大きな論理を持ちだして人にそこへの従属を迫ります。それに対抗しつつ、上手く社会を利用できるかに今後の世界をわたっていくカギがあると私は思っています。
また、自分というのは絶えず変化するので、それに合わせて自分の正体も少しずつ変わっていきます。したがって、絶対的な自分は存在しません。常にどこかふわふわしているのが「自分」という存在です。時々、これを考えすぎて精神的に参ってしまう人がいますが、あれは過剰です。絶対を求めず、ある意味気楽に考えていくといいと思いますよ~。
まあ、まとめますと自分とは何だろうという問いに対して、絶対的な答えを求めずにずっと考えることがとても大事だと思いますよってことです。
しかし冷静に見てみると、同調圧力と言えども、要は他人の意見です。自分の意見とは何も関係がありません。それなのに、私たちはそれを言ってしまった後やそれを続けることで自分を襲うかもしれない不利益と日夜戦っています。
同調圧力は普段の言動に留まらず、自分のアイデンティティを求めることにも及びます。実際、自分探しなど無駄という論調があるような気がしませんでしょうか。私は自分探し自体は大事なことだと考えています。自分を見つけられないままでいると人生の質に関わると思うからです。もちろんどこかに旅に出て……ということが自分探しの本質ではないので、そういう意味では無駄という意見にも一理ありますが。
とはいえ、自分なんてそう簡単に見つかりませんから、それだけの時間と労力をかける必要があります。これに耐えられるかです。そして、仮に一応の答えを見つけたとしてもそれを受け入れて社会と相対せるかという問題があります。
基本的に社会というのは同質化を本質として持つので、個性豊かという状態は良しとされないことが多いです。そのため、社会としてはあまりそういうことを考えてほしくないのですね。ゆえに、大きな論理を持ちだして人にそこへの従属を迫ります。それに対抗しつつ、上手く社会を利用できるかに今後の世界をわたっていくカギがあると私は思っています。
また、自分というのは絶えず変化するので、それに合わせて自分の正体も少しずつ変わっていきます。したがって、絶対的な自分は存在しません。常にどこかふわふわしているのが「自分」という存在です。時々、これを考えすぎて精神的に参ってしまう人がいますが、あれは過剰です。絶対を求めず、ある意味気楽に考えていくといいと思いますよ~。
まあ、まとめますと自分とは何だろうという問いに対して、絶対的な答えを求めずにずっと考えることがとても大事だと思いますよってことです。