好きなことで生きていくために必要なたった3つのこと
好きなことをして生きるというと「難しいこと」だというイメージがあるかもしれませんが、実際の骨格はシンプルです。このページではその骨格さえつかんでおけば突破口が開けるかもしれませんよということをお話していきます。
1.労働とは何か?
いきなり難しい話をして申し訳ないのですが……。まあ、面倒であれば次の「2」から読んでいただいても構いません。好きなものでつい語ってしまうのです(笑)
「労働」もしくは「働く」ということがよく言われますが、これはいったい何でしょうか。一般的には「週に1~2日の休みをとりながら、一日少なくとも八時間働いて、賃金を得る行為」とされるケースが多いでしょう。いわゆる「賃労働」ってやつです。
ですが、このような考え方が出てきたのは歴史的には最近です。世界史・社会学史的にはキリスト教のプロテスタントの倫理として「労働は神聖なもの」とされたことが始まりで、それが実質的なものとして強化されたのは産業革命以降のことです。したがって、16世紀ごろから精神的に準備されていた「労働思想」が、18世紀半ば以降に本格的に社会装置として働き始めたとみることができるでしょう。
もう少し言えば、昔は「労働なんて貧乏人がすることさっ」と言っていたのが、プロテスタンティズムの普及で「労働って素晴らしいよね」となり、産業革命以降は「賃労働って素晴らしい」と変化してきたわけです。しかし、産業革命以降の思想は宗教的なものではなく、実利的(いやらしげ)なものを感じませんか。つまり、大規模工場の登場で資本家は大量の労働者を引っ張ってくる必要性に迫られたので、宗教的概念と自らの利益をくっつけて「賃労働は素晴らしい」という概念をつくりあげたと見ることができるのではないかということです。
でも、概念だけではなかなか人は動きませんね。そこには実績が必要です。そこで産業革命の産物である機械が出てくるわけです。機械でやれば従来の数倍もの効率で製品が出来ますから、手動でやっていた人たちは「こっちのほうが楽でいいや」ということで機械業に流れるようになりました。また、イギリスに関して言えば囲い込みという政策で土地を奪うことで農民を半強制的に工業労働者に仕立て上げることもしてきました。さらに賃労働には「安定」という誘惑がありましたから、結果的に多くの人が労働者となり、そしてその実績が「賃労働は素晴らしい」という労働観を人々に浸透させていったわけです。
ですが、逆に言えば「賃労働」というのは最近出てきた概念で、「労働」の本質を突いていないとも言えます。それでは労働の本質とはいったい何なのか。賃労働以前の歴史を考えてみましょう。
時代をかなりさかのぼると、物々交換の時代にあたります。人間は元々自給自足をしていたわけですが、効率的に色々出来るようになると分業が進んで、余ったものを自分が必要なものと交換するようになりました。これが市場の原型です。今のお金(貨幣)はこれを簡単にするために発明されたものなわけですが、ここで大事なのは「等価交換」の原則です。自分があげるものと、欲しいものの価値がその人として釣りあっていることが必要なわけです。
要するに、昔は「価値」の交換こそが市場の機能であったわけです。ということは、労働とは「価値」を生みだすことだったと言えます。ゆえに、賃労働でなくとも「価値」を生み出す人はきちんと労働していると言えるというわけです。なので、好きなことで生きていても、「価値」さえ生めば論理的にはなんら問題は起きないということになります。
まとめますと、労働というのは「価値ある商品を生み出すことである」と言えます。こう考えると、現在の資本主義社会はだいぶゆがんでいるなと私などは思うのですが、皆さんはどう思うでしょうか。
さて、好きなことをしながらそのような価値あるものを生み出し、交換してもらうために必要なことは何なのでしょう。壮大な前振りになってしまいましたが、次からいよいよ本題に入ります!
2.必要な3つのこと
ここは結論からいきましょう! 私が必要だと考えるのは以下3つです。
①才能(好きなことの本質)の把握(最重要!)
②表現
③社会関係資本(人とのつながり)
<才能(好きなことの本質)の把握>
才能と言うと、何かとびぬけたものをイメージする人が多いと思います。「君には絵の才能がある!」とか。でも、ここではそれだけを指すのではなく、自分が「これがどうしても好きなの!」と思えるものを含んでいます。それだけ情熱が燃やせるものがあるってある意味才能ですよね。この才能があるからこそ、「価値あり」と判断してもらえるものが生みだしやすくなるのです。
ただ、この把握は結構難しいです。というのは、単純に「○○が好き」では不十分だからです。「○○のこんなところが好き」まで言える必要があります。
例えば、「プロ野球ファン」というのはかなりの人数がいますが、その方向性は人それぞれです。「豪快なプレーが好き」、「駆け引きが好き」、「応援が好き」、「采配を考えるのが好き」などなど。ですが、言及するときには十把一絡げに「プロ野球ファン」として扱っているわけです。
このように自分の趣味や嗜好から方向性もしくは本質と言えるものをとりだせるかが好きなことで生きる上で最重要な項目になります。
取り出し方についてはここでは割愛しますが、当サイトの「好きなこと診断法」、「自己分析強化版」などを参照していただくといいかもしれません。
<表現>
「これが好き!」というものがあっても表現する場や方法が無ければ単なる趣味か妄想です。その情熱をあますところなく伝えつつ、交換して欲しい人に価値をしっかりアピールし、その価値が最大化できる媒体を選び、交換した人に同じ気持ちを味わってもらうことが必要なのです。
ポイントは消費者にも自分が好きなそれを「好きになってもらうこと」です。売買の話になると「売ればいい」という考えに陥りがちですがそれだとちょっと難しかったりしますし、気持ちがすさみますよね(笑)
ちなみに別記事の「新規向けアプローチ(もしくはパブリックな売り方)」はこちらに属すと解釈しています。
<社会関係資本>
また難しいことばを使ってしまいました(汗)
簡単に言えば「人間関係」のことです。貧困家庭による悲しい事件がよく起こりますが、あれの原因は経済資本(お金)はもちろん、社会関係資本(人脈)が少ないことに起因することが多々あります。「助けを求められる人がいなかった」、「助けてくれる人がいなかった」など。
ビジネスでも同様のことが言えて、消費者との関係をしっかりつくれるかということが重要なことになります。ここで信頼を得て、強いつながりを持つことが出来れば継続的な展開を行うことが可能になるわけです。そのためには実直であることが求められると思います。少なくともつながりを持てる可能性のある人を無碍にしないことは必要でしょう。
ちなみの別記事の「ファン向けアプローチ(もしくはソーシャルな売り方)」はこちらに属すと解釈しています。
3.おわりに
やたら難しい話を長々としてしまいましたが、2だけ読んでいただければ言いたいことは伝わるかなと思います。
まあ、シンプルに言えば「好きなことを思い切りやって、それをたくさん表現して、人と仲良くすればいい」ということですね。私も頑張ります!
1.労働とは何か?
いきなり難しい話をして申し訳ないのですが……。まあ、面倒であれば次の「2」から読んでいただいても構いません。好きなものでつい語ってしまうのです(笑)
「労働」もしくは「働く」ということがよく言われますが、これはいったい何でしょうか。一般的には「週に1~2日の休みをとりながら、一日少なくとも八時間働いて、賃金を得る行為」とされるケースが多いでしょう。いわゆる「賃労働」ってやつです。
ですが、このような考え方が出てきたのは歴史的には最近です。世界史・社会学史的にはキリスト教のプロテスタントの倫理として「労働は神聖なもの」とされたことが始まりで、それが実質的なものとして強化されたのは産業革命以降のことです。したがって、16世紀ごろから精神的に準備されていた「労働思想」が、18世紀半ば以降に本格的に社会装置として働き始めたとみることができるでしょう。
もう少し言えば、昔は「労働なんて貧乏人がすることさっ」と言っていたのが、プロテスタンティズムの普及で「労働って素晴らしいよね」となり、産業革命以降は「賃労働って素晴らしい」と変化してきたわけです。しかし、産業革命以降の思想は宗教的なものではなく、実利的(いやらしげ)なものを感じませんか。つまり、大規模工場の登場で資本家は大量の労働者を引っ張ってくる必要性に迫られたので、宗教的概念と自らの利益をくっつけて「賃労働は素晴らしい」という概念をつくりあげたと見ることができるのではないかということです。
でも、概念だけではなかなか人は動きませんね。そこには実績が必要です。そこで産業革命の産物である機械が出てくるわけです。機械でやれば従来の数倍もの効率で製品が出来ますから、手動でやっていた人たちは「こっちのほうが楽でいいや」ということで機械業に流れるようになりました。また、イギリスに関して言えば囲い込みという政策で土地を奪うことで農民を半強制的に工業労働者に仕立て上げることもしてきました。さらに賃労働には「安定」という誘惑がありましたから、結果的に多くの人が労働者となり、そしてその実績が「賃労働は素晴らしい」という労働観を人々に浸透させていったわけです。
ですが、逆に言えば「賃労働」というのは最近出てきた概念で、「労働」の本質を突いていないとも言えます。それでは労働の本質とはいったい何なのか。賃労働以前の歴史を考えてみましょう。
時代をかなりさかのぼると、物々交換の時代にあたります。人間は元々自給自足をしていたわけですが、効率的に色々出来るようになると分業が進んで、余ったものを自分が必要なものと交換するようになりました。これが市場の原型です。今のお金(貨幣)はこれを簡単にするために発明されたものなわけですが、ここで大事なのは「等価交換」の原則です。自分があげるものと、欲しいものの価値がその人として釣りあっていることが必要なわけです。
要するに、昔は「価値」の交換こそが市場の機能であったわけです。ということは、労働とは「価値」を生みだすことだったと言えます。ゆえに、賃労働でなくとも「価値」を生み出す人はきちんと労働していると言えるというわけです。なので、好きなことで生きていても、「価値」さえ生めば論理的にはなんら問題は起きないということになります。
まとめますと、労働というのは「価値ある商品を生み出すことである」と言えます。こう考えると、現在の資本主義社会はだいぶゆがんでいるなと私などは思うのですが、皆さんはどう思うでしょうか。
さて、好きなことをしながらそのような価値あるものを生み出し、交換してもらうために必要なことは何なのでしょう。壮大な前振りになってしまいましたが、次からいよいよ本題に入ります!
2.必要な3つのこと
ここは結論からいきましょう! 私が必要だと考えるのは以下3つです。
①才能(好きなことの本質)の把握(最重要!)
②表現
③社会関係資本(人とのつながり)
<才能(好きなことの本質)の把握>
才能と言うと、何かとびぬけたものをイメージする人が多いと思います。「君には絵の才能がある!」とか。でも、ここではそれだけを指すのではなく、自分が「これがどうしても好きなの!」と思えるものを含んでいます。それだけ情熱が燃やせるものがあるってある意味才能ですよね。この才能があるからこそ、「価値あり」と判断してもらえるものが生みだしやすくなるのです。
ただ、この把握は結構難しいです。というのは、単純に「○○が好き」では不十分だからです。「○○のこんなところが好き」まで言える必要があります。
例えば、「プロ野球ファン」というのはかなりの人数がいますが、その方向性は人それぞれです。「豪快なプレーが好き」、「駆け引きが好き」、「応援が好き」、「采配を考えるのが好き」などなど。ですが、言及するときには十把一絡げに「プロ野球ファン」として扱っているわけです。
このように自分の趣味や嗜好から方向性もしくは本質と言えるものをとりだせるかが好きなことで生きる上で最重要な項目になります。
取り出し方についてはここでは割愛しますが、当サイトの「好きなこと診断法」、「自己分析強化版」などを参照していただくといいかもしれません。
<表現>
「これが好き!」というものがあっても表現する場や方法が無ければ単なる趣味か妄想です。その情熱をあますところなく伝えつつ、交換して欲しい人に価値をしっかりアピールし、その価値が最大化できる媒体を選び、交換した人に同じ気持ちを味わってもらうことが必要なのです。
ポイントは消費者にも自分が好きなそれを「好きになってもらうこと」です。売買の話になると「売ればいい」という考えに陥りがちですがそれだとちょっと難しかったりしますし、気持ちがすさみますよね(笑)
ちなみに別記事の「新規向けアプローチ(もしくはパブリックな売り方)」はこちらに属すと解釈しています。
<社会関係資本>
また難しいことばを使ってしまいました(汗)
簡単に言えば「人間関係」のことです。貧困家庭による悲しい事件がよく起こりますが、あれの原因は経済資本(お金)はもちろん、社会関係資本(人脈)が少ないことに起因することが多々あります。「助けを求められる人がいなかった」、「助けてくれる人がいなかった」など。
ビジネスでも同様のことが言えて、消費者との関係をしっかりつくれるかということが重要なことになります。ここで信頼を得て、強いつながりを持つことが出来れば継続的な展開を行うことが可能になるわけです。そのためには実直であることが求められると思います。少なくともつながりを持てる可能性のある人を無碍にしないことは必要でしょう。
ちなみの別記事の「ファン向けアプローチ(もしくはソーシャルな売り方)」はこちらに属すと解釈しています。
3.おわりに
やたら難しい話を長々としてしまいましたが、2だけ読んでいただければ言いたいことは伝わるかなと思います。
まあ、シンプルに言えば「好きなことを思い切りやって、それをたくさん表現して、人と仲良くすればいい」ということですね。私も頑張ります!