あたたかな場所(はことレティ・二次創作)
――カラカラカラン。
ブックカフェ『気ままな本棚』のドアが開き、来客を知らせるベルが音をたてる。
「いらっしゃいませ、お客様」
入口のすぐ前にあるカウンターの向こうでこの店の店主、三池厚志がお辞儀をした。三池は白ひげをたくわえ、メガネをかけた七十代の風貌で、温厚な人柄がその体からにじみ出ている。
入ってきた三十代でサラリーマン風の男性は「コーヒーを一つ」と言ってから、カウンター席に座った。
「かしこまりました」
三池は注文を受け、コーヒーを入れる準備を始める。缶に入った良い香りのするコーヒー豆の粉をスプーンですくってサイフォンのロートに入れると、お湯をフラスコへ注ぎ、アルコールランプに火を付ける。しばらくしてから、ロートをフラスコにセッティングする。すると、お湯がロートを通して上昇し、コーヒー豆の粉と一つになっていき、店中にコーヒーの香りが漂う。
お湯が重力に逆らって動き、不思議な感じがするためか、カウンター席の男性も興味深そうにコーヒーが出来上がるのを見つめていた。その手には、この店の特徴であるめちゃくちゃな配置から見つけられた本が握られている。
そろそろ頃合いかというときに、店の外から少しにぎやかな声がし始めた。
三池がランプを消し、ロート内を少しヘラでかき混ぜるとコーヒーが一気に下のフラスコに戻り始めた。
そのタイミングで、ドアが開き、カラカラカランとベルが来客を知らせた。
「いらっしゃいませ、お客様」
三池がお辞儀をした先には、黒髪でメガネをかけた大人しそうな女の子と金髪で利発そうな女の子が立っていた。
「こんにちは」
黒髪の女の子、羽鳥はこは軽くお辞儀をする。
それに対して、
「セバスチャン、来たよ!」
金髪の女の子、東風レティシアは右手を挙げにこやかなあいさつ。
「ちょっと、レティ! そんな呼び方したら失礼だよぉ!」
「えー、だって店主さん、執事みたいだし、この前OKもらったもん」
確かに三池は白ひげにメガネをかけた老人なので、執事に見えなくもない。
「ははは」
三池は笑うと、コーヒーを男性に提供してから、
「お嬢さんもお好きに呼んでいただいて構いませんよ」
と笑顔で言った。
「ほらっ」
レティが嬉しそうに笑うので、はこもつられて笑った。半分呆れも入っていたが。
「なんだかすみません……」
申し訳なさそうに佇むはこに対して、お好きな席にどうぞ、と三池は案内した。
「行こっ、はこちん!」
レティがはこの手を握る。はこは引っ張られるようにして店内に駆け込んでいく、
「もう、レティその呼び方人前でやめてよぅ!」
「ごみんごみん」
レティがまったく反省していない謝罪をした後、二人は定番席である窓際のテーブル席に腰を下ろした。
「何になさいますか?」
テーブル席まで来た三池は、オーダー表を持ちつつ二人に尋ねた。
「わたしはモンブランと紅茶で!」
「えっと、私は緑茶を」
ほぼお決まりのオーダーを受け取った三池はお辞儀をするとカウンターに戻った。
普段は静かなブックカフェが二人が来ると、少しにぎやかになる。注文を受けた品物の準備をしながら微笑んだ三池は、はこと話した日のことを思い出すのだった。
*
その日は朝からしとしとと雨が降っていた。そのせいか誰も客が来ず、三池は調理場の椅子に腰かけていた。
雨の湿度のせいか、店の中もどんよりとしていて、放っておくとせっかくの本にカビが生えてしまいそうだ。
除湿機を買わないと、などと考えていた三池が食材のチェックでもしようかと立ちあがったとき、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ、お客様」
お辞儀の先にいたのは、黒髪でメガネをかけた女の子。はこだった。
「お好きな席にどうぞ」
誰もいない店内を見渡したはこはいつもと同じ窓際の席に座った。
「何になさいますか?」
「あ、えっと……緑茶を」
「かしこまりました」
はこはそのときすでによく店に来ていた。比較的客の年齢層が高い店なので、三池にとっても何となく印象に残る客の一人だった。
年齢に加えて、その行動も印象を深める要因だった。
はこはいつも、店に来ると本は読まずにタブレットPCを開くのだ。
そしてキーを勢いよくパチパチ叩き、時々止まって頬杖をつきながら、店内のインテリアを見たり、外の風景を見て、再びタイピングを再開する。そんなことを繰り返して、しばらく滞在した後に店を後にするのである。
だが、その日は少し様子が違っていた。
いつもと同じくタブレットPCは開いているのだが、タイピングをほとんどしていない。ただただ、モニタを見つめている。
緑茶をはこの元に届けた三池は、カウンターに戻ってからも定期的にはこの様子を見ていた。他の客がいないため、他にやることが無かったこともある。
ふと思い立った三池は、注文されてもいないのにロールケーキを冷蔵庫から取り出し、切り分け始めた。
そしてきれいにお皿に盛ると、はこの元へ。
「お嬢さん、これ、サービスです」
「え!? そ、そんな、悪いですよ」
微笑んだ三池はカウンターにあるもう一皿のロールケーキを傾けてはこに見せた。
「私のまかないおやつです。今日は雨で他にお客様もいませんし、一人で食べても湿っぽいので一緒に食べてもらえませんか」
はこは戸惑ったように三池を見て、本当にいいんですか、と確認した。
「大丈夫です。こんな日に来ていただいているわけですし」
しばらくの沈黙の後。
「それじゃあ、いただきます」
と言って軽く会釈したはこは、フォークでケーキを切り分けた。
それを見た三池もカウンター席に座りケーキを食べ始めた。
「そういえばお嬢さんは、いつもそのパソコンで何をなさっているのですか」
しばらく考えていた疑問を三池ははこにぶつけた。
「え、あ、これは……」
「答えにくければ、無理はなさらずに。でも、こんな雨の日に一人で考え込んでいても、うつっぽくなってあまりいいアイディアは浮かびません。少し人と話すことも大事ですよ」
穏やかに語った三池の方を見たはこは、そうですね、とつぶやいてから話を始めた。
「実は小説を、書いているんです」
「小説ですか。未来の作家さんだったのですね」
「いや、そんな大袈裟なものではっ」
慌てて否定したはこを見て、三池は微笑んだ。
「今日はあまり筆が進みませんか」
「ま、まあ、そうなんですが……」
はこがうつむいたので、外が暗くいつもよりはっきりしているはこの影が、テーブルの真ん中を突きぬけた。
「もうそれなりの長さになっているんですが、全然感想が付かなくて。きっと面白くないから付かないんです。面白くない小説を書いていても、意味が無いのかもしれない。そんなことを考えていたら、次の話が思いつかなくなってしまって……」
肩に軽く乗っていた髪が耳のあたりで宙ぶらりんになった。
三池はフォークをお皿に置くと、すくっと立ちあがった。
「一つ質問をしてもよろしいですか」
はこが顔を元の位置に戻して、うなづいた。
「お嬢さんは、このお店に来てくれたとき、私のために来てくれていますか」
「え……」
唐突な質問に加えて、答えにくい内容だったのではこの視線が泳いだ。
「えっと、その、考えたことなかったです。すみません……」
申し訳なさそうにするはこに対して三池は笑いながら、
「いいのです。皆さんそうですから。私だって他のお店にいくときはそうです。お嬢さんは、私のためにここに来たわけではありませんが、私にとってはとても大切なお客様で、来ていただいたこと自体がとても嬉しく価値あることです」
「そういうものなんですか」
「はい。お嬢さんはここに来たいと思ったので来ただけですが、私にとってはそれはとても価値ある行動でした。人間は生きている限り、何かをしたり、言ったり、書いたりします。本人は何とも思っていなくて、やりたいからやったことが、誰かにとってはたいへん価値のある行動だったりするものです」
三池ははこのテーブルのすぐ脇に立った。
「だから、お嬢さんも感想が来ないからといって自分の小説はつまらないなどと思わず、納得いくものを書き続ければいいと思いますよ。そうすればいつかきっと、誰かの心に届きます。そのときその人にとっては、どんな有名な文学賞をとった作品よりも、お嬢さんの作品がかけがえの無い作品になるのですから」
はこはしばらく止まっていたが、はっと我に返ったようにまばたきをした。
「えっと、なんだかありがとうございます。少し元気が出てきました」
「それは何よりです。少しお節介が過ぎましたかな」
「そんなこと、ないですっ」
三池は苦笑いを浮かべ、頭をかきながらカウンターの奥へ戻っていった。
はこはロールケーキをすごいスピードで食べると、緑茶を飲みほし、「よし!」とつぶやいて、タイピングを再開した。
パシパシという小気味いい音を聞きながら、三池は自分が食べたロールケーキのお皿を洗うのだった。
それからしばらくしたある日。はこはいつもの席で小説執筆に精を出していた。
いつか自分の小説を読んで、喜んでくれる人のために、精一杯いいものを。そう心に唱えながらモニタの中でストーリーを次々に展開していく。
三池は他の客の応対もしていたので、その日はあまり意識していなかったのだが、突然はこが『ガンッ』という音と共に立ちあがったので注目せざるを得なかった。
勢いよく立ちあがり、テーブルに足をぶつけたせいで大きめの音を出してしまったはこは、周囲の客の視線に気づき、顔を赤くしてゆっくり腰を下ろす。
三池はコップに水を入れ、はこに差し出した。
「お嬢さん、どうぞ」
「わっ、ありがとうございますっ。いつもすみません……」
「いえいえ」
戻ろうとすると、珍しくはこが三池を呼びとめた。
「あの店主さん!」
「どうなさいましたか」
表情は抑制的だが、目の奥に喜びの舞が見えた。
「か、感想が。私の小説に感想がついたんです!」
「それはそれは。おめでとうございます」
「はいっ」
大人しそうなはこが喜びを隠しきれないといった表情だ。
「何かお祝いしないといけませんね」
「えっ」
三池が突然そんなことを言うので、はこが目を丸くした。
「そ、そういうつもりで言ったわけではっ」
「いいのです。遠慮なさらずに」
わたわたしているはこをしり目に、調理場に戻った三池はショートケーキを準備してはこの元へ戻った。
「今日はお祝いなので紅茶もどうぞ」
はこの前にはショートケーキに紅茶。と、本人が頼んだ緑茶。
「えっと……」
「お嬢さんの小説が心に響いた方がいらっしゃったのですから、どうぞお食べください」
微笑んだ三池は定位置に戻って別の客の応対をし始めた。
しばらく躊躇していたはこだが、せっかくの好意を無駄には出来ないと一口ほおばった。
「おいしい……」
そうつぶやいて、時々紅茶を織り交ぜながらケーキを食べ進める。
視線の先には、届いたばかりの感想。
見ているだけで口角が上がってしまう。
感想を眺めて三十分。いい加減見すぎだと自分でツッコんだはこは帰り支度を始めて、精算のためにレジへ向かった。
「ありがとうございました。緑茶一杯なので二百五十円です」
「あのやっぱり、さっきのケーキと紅茶のお金も払います」
はこが財布の中から追加の硬貨を出そうとするのを見た三池は、
「では、お代の代わりに一つお願いを聞いてもらってもよろしいですか」
と切り出した。
「お願い、ですか?」
三池は一度店の奥に行き、ゴソゴソ何かを探した後に、色紙を手に戻ってきた。
「ここにサインを」
「え~っ!? そんなことできませんよぉ!」
「感想をもらえたということは、誰かを喜ばせたのですから、立派な作家さんですよ」
マジックペンを添えてはこに色紙が手渡される。
「それにショートケーキと紅茶のお代ですから」
「うぅ……。本当にいいんですかぁ?」
「はい。ぜひ書いてください」
サイン、と言っても有名人が書くようなサインをはこは書いたことが無い。仕方なく、普通に楷書で『夢乃函』と書く。その左上に『気ままな本棚さんへ』とも。
恥ずかしいが悪い気はしない。
「あの、これでいいでしょうか?」
おずおずと色紙を渡すと、
「ありがとうございます。飾らせていただきますね」
「えっと……恥ずかしいので、目立たないところに……」
「ははは。善処いたします」
三池が笑うと、はこもつられて微笑んだ。
「それじゃあ、えっと、ありがとうございました」
はこが深くお辞儀をする。
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
三池も深くお辞儀をする。
向かいあっている人同士が深くお辞儀をするという不思議な光景が五秒ほど続き、はこが先に頭を上げた。
三池がお辞儀をし続けていたので、ばつが悪かったものの、このままだとお辞儀をさせ続けることになりかねないのではこはドアに手をかける。
「また来ますね」
三池はようやく頭をあげて、
「お待ちしております」
はこに笑顔を見せる。はこも笑顔で、ドアを開けた。
梅雨はもうじき空ける。今にもセミが鳴き出しそうな初夏の香りが外の空気にのって、店内に流れ込んでくる。
はこは三池に見送られながら、開けた青い空の下へ歩み出した。
感想をくれた人は、どんな人だろう。どんな気持ちで私の小説を読んでくれたのだろう。店主さんが言うように価値があったのかな。でもどういう人であっても、私の大切な人だよね。
そんなことを考えながら、一歩一歩はこは『気ままな本棚』を後にしていく。
はこが、”感想をくれた大切な人”に会うのは、そのしばらく後の話である。
*
「よし、更新っ」
はこがキーボードのエンターキーを押すと、はこの心の中とモニタで繰り広げられていた物語が、全世界に公開された。
「おっ、はこちん、じゃなかった『夢乃函先生』の作品更新だ! わたしが最初の読書だよ~、先生」
レティが嬉しそうにスマホの画面をタップする。
「もう、レティ、私のことからかってるでしょ~」
はこは唇をとがらせて拗ねたように言った。
「えー、からかってないよ。だって、はこちんはわたしのつくれない世界を知っている世界でたった一人の人だもん。わたしにとっては大先生なんだよ」
その言葉を聞いて、緑茶を飲もうとしていたはこの動きがぴたりと止まる。
はこがちらりとカウンターのほうを見ると、いつもと同じように穏やかに笑いながら接客をする三池の姿があった。その上の隅っこには何の飾り気もない、でもまっすぐな文字で描かれた『夢乃函』のサイン。
私も作家になれたでしょうか。店主さん。
声に出したわけでもないのに、三池がこちらを見て、うなずき微笑んだ。
「どうしたの、はこちん?」
レティが不思議そうな表情ではこに尋ねた。
「え?」
「なんかすごく嬉しそう」
「ふふっ。何でかな。レティのおかげかな」
「えっ、急にそういうこと言わないでよ~。照れる」
ふふふっとはこが楽しそうに笑った。レティも頬を少し赤らめながら、一緒になって笑う。
その様子を見た三池は笑みをこぼし、一度目を閉じる。そして、注文の入ったコーヒーを入れる準備を始めるのだった。
(了)
ブックカフェ『気ままな本棚』のドアが開き、来客を知らせるベルが音をたてる。
「いらっしゃいませ、お客様」
入口のすぐ前にあるカウンターの向こうでこの店の店主、三池厚志がお辞儀をした。三池は白ひげをたくわえ、メガネをかけた七十代の風貌で、温厚な人柄がその体からにじみ出ている。
入ってきた三十代でサラリーマン風の男性は「コーヒーを一つ」と言ってから、カウンター席に座った。
「かしこまりました」
三池は注文を受け、コーヒーを入れる準備を始める。缶に入った良い香りのするコーヒー豆の粉をスプーンですくってサイフォンのロートに入れると、お湯をフラスコへ注ぎ、アルコールランプに火を付ける。しばらくしてから、ロートをフラスコにセッティングする。すると、お湯がロートを通して上昇し、コーヒー豆の粉と一つになっていき、店中にコーヒーの香りが漂う。
お湯が重力に逆らって動き、不思議な感じがするためか、カウンター席の男性も興味深そうにコーヒーが出来上がるのを見つめていた。その手には、この店の特徴であるめちゃくちゃな配置から見つけられた本が握られている。
そろそろ頃合いかというときに、店の外から少しにぎやかな声がし始めた。
三池がランプを消し、ロート内を少しヘラでかき混ぜるとコーヒーが一気に下のフラスコに戻り始めた。
そのタイミングで、ドアが開き、カラカラカランとベルが来客を知らせた。
「いらっしゃいませ、お客様」
三池がお辞儀をした先には、黒髪でメガネをかけた大人しそうな女の子と金髪で利発そうな女の子が立っていた。
「こんにちは」
黒髪の女の子、羽鳥はこは軽くお辞儀をする。
それに対して、
「セバスチャン、来たよ!」
金髪の女の子、東風レティシアは右手を挙げにこやかなあいさつ。
「ちょっと、レティ! そんな呼び方したら失礼だよぉ!」
「えー、だって店主さん、執事みたいだし、この前OKもらったもん」
確かに三池は白ひげにメガネをかけた老人なので、執事に見えなくもない。
「ははは」
三池は笑うと、コーヒーを男性に提供してから、
「お嬢さんもお好きに呼んでいただいて構いませんよ」
と笑顔で言った。
「ほらっ」
レティが嬉しそうに笑うので、はこもつられて笑った。半分呆れも入っていたが。
「なんだかすみません……」
申し訳なさそうに佇むはこに対して、お好きな席にどうぞ、と三池は案内した。
「行こっ、はこちん!」
レティがはこの手を握る。はこは引っ張られるようにして店内に駆け込んでいく、
「もう、レティその呼び方人前でやめてよぅ!」
「ごみんごみん」
レティがまったく反省していない謝罪をした後、二人は定番席である窓際のテーブル席に腰を下ろした。
「何になさいますか?」
テーブル席まで来た三池は、オーダー表を持ちつつ二人に尋ねた。
「わたしはモンブランと紅茶で!」
「えっと、私は緑茶を」
ほぼお決まりのオーダーを受け取った三池はお辞儀をするとカウンターに戻った。
普段は静かなブックカフェが二人が来ると、少しにぎやかになる。注文を受けた品物の準備をしながら微笑んだ三池は、はこと話した日のことを思い出すのだった。
*
その日は朝からしとしとと雨が降っていた。そのせいか誰も客が来ず、三池は調理場の椅子に腰かけていた。
雨の湿度のせいか、店の中もどんよりとしていて、放っておくとせっかくの本にカビが生えてしまいそうだ。
除湿機を買わないと、などと考えていた三池が食材のチェックでもしようかと立ちあがったとき、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ、お客様」
お辞儀の先にいたのは、黒髪でメガネをかけた女の子。はこだった。
「お好きな席にどうぞ」
誰もいない店内を見渡したはこはいつもと同じ窓際の席に座った。
「何になさいますか?」
「あ、えっと……緑茶を」
「かしこまりました」
はこはそのときすでによく店に来ていた。比較的客の年齢層が高い店なので、三池にとっても何となく印象に残る客の一人だった。
年齢に加えて、その行動も印象を深める要因だった。
はこはいつも、店に来ると本は読まずにタブレットPCを開くのだ。
そしてキーを勢いよくパチパチ叩き、時々止まって頬杖をつきながら、店内のインテリアを見たり、外の風景を見て、再びタイピングを再開する。そんなことを繰り返して、しばらく滞在した後に店を後にするのである。
だが、その日は少し様子が違っていた。
いつもと同じくタブレットPCは開いているのだが、タイピングをほとんどしていない。ただただ、モニタを見つめている。
緑茶をはこの元に届けた三池は、カウンターに戻ってからも定期的にはこの様子を見ていた。他の客がいないため、他にやることが無かったこともある。
ふと思い立った三池は、注文されてもいないのにロールケーキを冷蔵庫から取り出し、切り分け始めた。
そしてきれいにお皿に盛ると、はこの元へ。
「お嬢さん、これ、サービスです」
「え!? そ、そんな、悪いですよ」
微笑んだ三池はカウンターにあるもう一皿のロールケーキを傾けてはこに見せた。
「私のまかないおやつです。今日は雨で他にお客様もいませんし、一人で食べても湿っぽいので一緒に食べてもらえませんか」
はこは戸惑ったように三池を見て、本当にいいんですか、と確認した。
「大丈夫です。こんな日に来ていただいているわけですし」
しばらくの沈黙の後。
「それじゃあ、いただきます」
と言って軽く会釈したはこは、フォークでケーキを切り分けた。
それを見た三池もカウンター席に座りケーキを食べ始めた。
「そういえばお嬢さんは、いつもそのパソコンで何をなさっているのですか」
しばらく考えていた疑問を三池ははこにぶつけた。
「え、あ、これは……」
「答えにくければ、無理はなさらずに。でも、こんな雨の日に一人で考え込んでいても、うつっぽくなってあまりいいアイディアは浮かびません。少し人と話すことも大事ですよ」
穏やかに語った三池の方を見たはこは、そうですね、とつぶやいてから話を始めた。
「実は小説を、書いているんです」
「小説ですか。未来の作家さんだったのですね」
「いや、そんな大袈裟なものではっ」
慌てて否定したはこを見て、三池は微笑んだ。
「今日はあまり筆が進みませんか」
「ま、まあ、そうなんですが……」
はこがうつむいたので、外が暗くいつもよりはっきりしているはこの影が、テーブルの真ん中を突きぬけた。
「もうそれなりの長さになっているんですが、全然感想が付かなくて。きっと面白くないから付かないんです。面白くない小説を書いていても、意味が無いのかもしれない。そんなことを考えていたら、次の話が思いつかなくなってしまって……」
肩に軽く乗っていた髪が耳のあたりで宙ぶらりんになった。
三池はフォークをお皿に置くと、すくっと立ちあがった。
「一つ質問をしてもよろしいですか」
はこが顔を元の位置に戻して、うなづいた。
「お嬢さんは、このお店に来てくれたとき、私のために来てくれていますか」
「え……」
唐突な質問に加えて、答えにくい内容だったのではこの視線が泳いだ。
「えっと、その、考えたことなかったです。すみません……」
申し訳なさそうにするはこに対して三池は笑いながら、
「いいのです。皆さんそうですから。私だって他のお店にいくときはそうです。お嬢さんは、私のためにここに来たわけではありませんが、私にとってはとても大切なお客様で、来ていただいたこと自体がとても嬉しく価値あることです」
「そういうものなんですか」
「はい。お嬢さんはここに来たいと思ったので来ただけですが、私にとってはそれはとても価値ある行動でした。人間は生きている限り、何かをしたり、言ったり、書いたりします。本人は何とも思っていなくて、やりたいからやったことが、誰かにとってはたいへん価値のある行動だったりするものです」
三池ははこのテーブルのすぐ脇に立った。
「だから、お嬢さんも感想が来ないからといって自分の小説はつまらないなどと思わず、納得いくものを書き続ければいいと思いますよ。そうすればいつかきっと、誰かの心に届きます。そのときその人にとっては、どんな有名な文学賞をとった作品よりも、お嬢さんの作品がかけがえの無い作品になるのですから」
はこはしばらく止まっていたが、はっと我に返ったようにまばたきをした。
「えっと、なんだかありがとうございます。少し元気が出てきました」
「それは何よりです。少しお節介が過ぎましたかな」
「そんなこと、ないですっ」
三池は苦笑いを浮かべ、頭をかきながらカウンターの奥へ戻っていった。
はこはロールケーキをすごいスピードで食べると、緑茶を飲みほし、「よし!」とつぶやいて、タイピングを再開した。
パシパシという小気味いい音を聞きながら、三池は自分が食べたロールケーキのお皿を洗うのだった。
それからしばらくしたある日。はこはいつもの席で小説執筆に精を出していた。
いつか自分の小説を読んで、喜んでくれる人のために、精一杯いいものを。そう心に唱えながらモニタの中でストーリーを次々に展開していく。
三池は他の客の応対もしていたので、その日はあまり意識していなかったのだが、突然はこが『ガンッ』という音と共に立ちあがったので注目せざるを得なかった。
勢いよく立ちあがり、テーブルに足をぶつけたせいで大きめの音を出してしまったはこは、周囲の客の視線に気づき、顔を赤くしてゆっくり腰を下ろす。
三池はコップに水を入れ、はこに差し出した。
「お嬢さん、どうぞ」
「わっ、ありがとうございますっ。いつもすみません……」
「いえいえ」
戻ろうとすると、珍しくはこが三池を呼びとめた。
「あの店主さん!」
「どうなさいましたか」
表情は抑制的だが、目の奥に喜びの舞が見えた。
「か、感想が。私の小説に感想がついたんです!」
「それはそれは。おめでとうございます」
「はいっ」
大人しそうなはこが喜びを隠しきれないといった表情だ。
「何かお祝いしないといけませんね」
「えっ」
三池が突然そんなことを言うので、はこが目を丸くした。
「そ、そういうつもりで言ったわけではっ」
「いいのです。遠慮なさらずに」
わたわたしているはこをしり目に、調理場に戻った三池はショートケーキを準備してはこの元へ戻った。
「今日はお祝いなので紅茶もどうぞ」
はこの前にはショートケーキに紅茶。と、本人が頼んだ緑茶。
「えっと……」
「お嬢さんの小説が心に響いた方がいらっしゃったのですから、どうぞお食べください」
微笑んだ三池は定位置に戻って別の客の応対をし始めた。
しばらく躊躇していたはこだが、せっかくの好意を無駄には出来ないと一口ほおばった。
「おいしい……」
そうつぶやいて、時々紅茶を織り交ぜながらケーキを食べ進める。
視線の先には、届いたばかりの感想。
見ているだけで口角が上がってしまう。
感想を眺めて三十分。いい加減見すぎだと自分でツッコんだはこは帰り支度を始めて、精算のためにレジへ向かった。
「ありがとうございました。緑茶一杯なので二百五十円です」
「あのやっぱり、さっきのケーキと紅茶のお金も払います」
はこが財布の中から追加の硬貨を出そうとするのを見た三池は、
「では、お代の代わりに一つお願いを聞いてもらってもよろしいですか」
と切り出した。
「お願い、ですか?」
三池は一度店の奥に行き、ゴソゴソ何かを探した後に、色紙を手に戻ってきた。
「ここにサインを」
「え~っ!? そんなことできませんよぉ!」
「感想をもらえたということは、誰かを喜ばせたのですから、立派な作家さんですよ」
マジックペンを添えてはこに色紙が手渡される。
「それにショートケーキと紅茶のお代ですから」
「うぅ……。本当にいいんですかぁ?」
「はい。ぜひ書いてください」
サイン、と言っても有名人が書くようなサインをはこは書いたことが無い。仕方なく、普通に楷書で『夢乃函』と書く。その左上に『気ままな本棚さんへ』とも。
恥ずかしいが悪い気はしない。
「あの、これでいいでしょうか?」
おずおずと色紙を渡すと、
「ありがとうございます。飾らせていただきますね」
「えっと……恥ずかしいので、目立たないところに……」
「ははは。善処いたします」
三池が笑うと、はこもつられて微笑んだ。
「それじゃあ、えっと、ありがとうございました」
はこが深くお辞儀をする。
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
三池も深くお辞儀をする。
向かいあっている人同士が深くお辞儀をするという不思議な光景が五秒ほど続き、はこが先に頭を上げた。
三池がお辞儀をし続けていたので、ばつが悪かったものの、このままだとお辞儀をさせ続けることになりかねないのではこはドアに手をかける。
「また来ますね」
三池はようやく頭をあげて、
「お待ちしております」
はこに笑顔を見せる。はこも笑顔で、ドアを開けた。
梅雨はもうじき空ける。今にもセミが鳴き出しそうな初夏の香りが外の空気にのって、店内に流れ込んでくる。
はこは三池に見送られながら、開けた青い空の下へ歩み出した。
感想をくれた人は、どんな人だろう。どんな気持ちで私の小説を読んでくれたのだろう。店主さんが言うように価値があったのかな。でもどういう人であっても、私の大切な人だよね。
そんなことを考えながら、一歩一歩はこは『気ままな本棚』を後にしていく。
はこが、”感想をくれた大切な人”に会うのは、そのしばらく後の話である。
*
「よし、更新っ」
はこがキーボードのエンターキーを押すと、はこの心の中とモニタで繰り広げられていた物語が、全世界に公開された。
「おっ、はこちん、じゃなかった『夢乃函先生』の作品更新だ! わたしが最初の読書だよ~、先生」
レティが嬉しそうにスマホの画面をタップする。
「もう、レティ、私のことからかってるでしょ~」
はこは唇をとがらせて拗ねたように言った。
「えー、からかってないよ。だって、はこちんはわたしのつくれない世界を知っている世界でたった一人の人だもん。わたしにとっては大先生なんだよ」
その言葉を聞いて、緑茶を飲もうとしていたはこの動きがぴたりと止まる。
はこがちらりとカウンターのほうを見ると、いつもと同じように穏やかに笑いながら接客をする三池の姿があった。その上の隅っこには何の飾り気もない、でもまっすぐな文字で描かれた『夢乃函』のサイン。
私も作家になれたでしょうか。店主さん。
声に出したわけでもないのに、三池がこちらを見て、うなずき微笑んだ。
「どうしたの、はこちん?」
レティが不思議そうな表情ではこに尋ねた。
「え?」
「なんかすごく嬉しそう」
「ふふっ。何でかな。レティのおかげかな」
「えっ、急にそういうこと言わないでよ~。照れる」
ふふふっとはこが楽しそうに笑った。レティも頬を少し赤らめながら、一緒になって笑う。
その様子を見た三池は笑みをこぼし、一度目を閉じる。そして、注文の入ったコーヒーを入れる準備を始めるのだった。
(了)
あとがき
実を言うと、二次創作は初めてやりました。チャレンジです!
やはりキャラクターが最初からいてくれると話を膨らませやすいのでありがたい反面、元の雰囲気を壊したくもないのでそのバランスが難しかったですね。また、話し方の特徴というのは作家さんによってくせがあるのでそこも難しかったですねえ。出来るだけ元のお話を反映していますが、抜けているところもあるかもしれません。
元のお話には出てこない、「三池さん」という店主さんを勝手に登場させています。私の憧れというか理想が結構反映されていて、ゆっくりした時間が流れるところで人の背中を押せる人間になりたいな~なんていつも夢想しています。ちなみに、三池さんは実は大企業の元会長でめちゃくちゃお金持ちという裏設定もあります。俗世間に疲れて、若いときからの夢であったブックカフェを開いたのです。……すみません、話を勝手に膨らませ過ぎました。
私はあまり小説を書いてきた人間ではないので、技術や構成は稚拙かもしれませんが、メッセージは載せられたと思います。三人称で書いたのもかなり久々で面白かったです。いつもは一人称が多いので。いや、それ以前に完成までいくことが少ない私が書ききったこと自体が称賛に値します(笑)
オリジナルではありませんが、楽しんでいただけたら幸いです。それから元のお話の出どころである電子書籍レーベルのハイブリッド・ライブラリ(HL)さんに興味を持っていただけたらとても嬉しいと思います。個人が活動することが多い世界なので、レーベルという形式には可能性が詰まっていると思っています。
ではでは!
Hybrid LibraryさんのHP
やはりキャラクターが最初からいてくれると話を膨らませやすいのでありがたい反面、元の雰囲気を壊したくもないのでそのバランスが難しかったですね。また、話し方の特徴というのは作家さんによってくせがあるのでそこも難しかったですねえ。出来るだけ元のお話を反映していますが、抜けているところもあるかもしれません。
元のお話には出てこない、「三池さん」という店主さんを勝手に登場させています。私の憧れというか理想が結構反映されていて、ゆっくりした時間が流れるところで人の背中を押せる人間になりたいな~なんていつも夢想しています。ちなみに、三池さんは実は大企業の元会長でめちゃくちゃお金持ちという裏設定もあります。俗世間に疲れて、若いときからの夢であったブックカフェを開いたのです。……すみません、話を勝手に膨らませ過ぎました。
私はあまり小説を書いてきた人間ではないので、技術や構成は稚拙かもしれませんが、メッセージは載せられたと思います。三人称で書いたのもかなり久々で面白かったです。いつもは一人称が多いので。いや、それ以前に完成までいくことが少ない私が書ききったこと自体が称賛に値します(笑)
オリジナルではありませんが、楽しんでいただけたら幸いです。それから元のお話の出どころである電子書籍レーベルのハイブリッド・ライブラリ(HL)さんに興味を持っていただけたらとても嬉しいと思います。個人が活動することが多い世界なので、レーベルという形式には可能性が詰まっていると思っています。
ではでは!
Hybrid LibraryさんのHP