オリジナリティとは組み合わせである-真似との関係
<2017年8月27日 日刊幸せへのヒント>
クリエイター界隈などでは、オリジナリティが大事だとよく言われますよね。
私自身はずっと「オリジナル」がつくれないというコンプレックスを抱えてきました。一から何かを創る人にとても憧れますし、自分もそうなれたらと思ってきたのです。
でも、「憧れ」というのは「自分にはない」から「憧れ」なのですよね。「自分にある」ときは「目標」になりますから。
そうしてふと「憧れ」を遠くから見たときに、「おや?」と思いました。本当のオリジナルなんて無いのではなかろうかと。
それを改めて意識したのは、以下の個展です。
私自身はずっと「オリジナル」がつくれないというコンプレックスを抱えてきました。一から何かを創る人にとても憧れますし、自分もそうなれたらと思ってきたのです。
でも、「憧れ」というのは「自分にはない」から「憧れ」なのですよね。「自分にある」ときは「目標」になりますから。
そうしてふと「憧れ」を遠くから見たときに、「おや?」と思いました。本当のオリジナルなんて無いのではなかろうかと。
それを改めて意識したのは、以下の個展です。
大磯アートハウス和室個展のご案内。来週7月15日より加藤肇司展-大磯の夏-を開催します。新聞紙を素材にした作品他、加藤肇司さんの作品約20点展示します。7月OPEN日、15日16日13時-18時
— 大磯アートハウス (@OISOARTHOUSE) 2017年7月15日
大磯アートハウス(大磯駅徒歩12分)初日15日加藤さん在廊です。 pic.twitter.com/iW62iFPgnL
○オリジナリティなど無い
なかなかドキッとする言葉です。
自分にはオリジナリティなどなく、外界の反映でしかないのだという感覚は多くの人には分かりにくいのではないかと思います。
これはあくまで私の想像ですが、おそらく自分というのを「空間」とか「場」としてとらえているのではないかと思います。
外からの入力が化学反応を起こす「場」。
オリジナリティには「自分の意思」が働くという主体的なニュアンスがありますが、「場」的な感覚だとそれがないですよね。
確かに自分は存在していますが、実は自分がオリジナルで作れるものなどない。
では、私たちがつくりだしているものはいったい何なのでしょうか?
なかなかドキッとする言葉です。
自分にはオリジナリティなどなく、外界の反映でしかないのだという感覚は多くの人には分かりにくいのではないかと思います。
これはあくまで私の想像ですが、おそらく自分というのを「空間」とか「場」としてとらえているのではないかと思います。
外からの入力が化学反応を起こす「場」。
オリジナリティには「自分の意思」が働くという主体的なニュアンスがありますが、「場」的な感覚だとそれがないですよね。
確かに自分は存在していますが、実は自分がオリジナルで作れるものなどない。
では、私たちがつくりだしているものはいったい何なのでしょうか?
○真似の意味
端的に言ってしまえば、私たちは外部の「真似」をしています。だからつくっているものは「模倣品」です。
「真似」はあまりいい意味で用いられませんが、「真似」は私たちが生きていくうえできわめて必要な能力です。
赤ちゃんは大人たちが使う言葉を「真似」することで言語を取得していきます。「あーあー」言うのは、しゃべる練習です。いきなり上手く真似られるわけではありません。
「真似」の能力がなければ、私たちは成長できないのです。
端的に言ってしまえば、私たちは外部の「真似」をしています。だからつくっているものは「模倣品」です。
「真似」はあまりいい意味で用いられませんが、「真似」は私たちが生きていくうえできわめて必要な能力です。
赤ちゃんは大人たちが使う言葉を「真似」することで言語を取得していきます。「あーあー」言うのは、しゃべる練習です。いきなり上手く真似られるわけではありません。
「真似」の能力がなければ、私たちは成長できないのです。
○真似とオリジナリティ
よって、オリジナリティと言われているものも「真似」の選択、組み合わせに過ぎません。
一から物事を創り出す能力など人間にはきっとないのです。でも外部の物事を真似することで自分という主体を確立し、維持しています。
私たちは外部からやってくるピースを組み合わせて完成の無い「パズル」を作り続けているのではないかと思います。
一方で、「オリジナリティが無いことは自分が無いことではない」という点も大切です。その選択において主体性はやはり存在しますし、人と関係を結ぶことは(正しい意味での)優越感の表明に他なりません。
だから、オリジナリティが無いことに悩まないでください。みんな誰かの真似をしています。
でも、一つの物事を真似することに固執はしないでください。たくさんの対象を真似て、組み合わせていくことが自分の確立につながります。固執は暴力を生みます。
そうすれば、私も、あなたも「自分を確立」できるはずです。
堂々と、思い切り、いろんな人の、いろんなものの真似をして生きていきましょう!
よって、オリジナリティと言われているものも「真似」の選択、組み合わせに過ぎません。
一から物事を創り出す能力など人間にはきっとないのです。でも外部の物事を真似することで自分という主体を確立し、維持しています。
私たちは外部からやってくるピースを組み合わせて完成の無い「パズル」を作り続けているのではないかと思います。
一方で、「オリジナリティが無いことは自分が無いことではない」という点も大切です。その選択において主体性はやはり存在しますし、人と関係を結ぶことは(正しい意味での)優越感の表明に他なりません。
だから、オリジナリティが無いことに悩まないでください。みんな誰かの真似をしています。
でも、一つの物事を真似することに固執はしないでください。たくさんの対象を真似て、組み合わせていくことが自分の確立につながります。固執は暴力を生みます。
そうすれば、私も、あなたも「自分を確立」できるはずです。
堂々と、思い切り、いろんな人の、いろんなものの真似をして生きていきましょう!