日刊言の葉・Vol.12「表現の自由は誰のため?」
表現の自由という言葉はよく使われますが、実際はどういう意味なのでしょう?
今回はそんなことを考えてみます。
今回はそんなことを考えてみます。
それでも鑑賞する側は、触れることで自らを高め得る「砂金」の表現を探す。表現の自由は、表現を鑑賞する人たちのためにあるのではないか、と。
(朝日新聞 2015/2/2 21面 ニュースの扉 「しりあがり寿さんと考える仏テロ」より)
これは一理ある考えだと思います。自分を高め得る表現が何かを定義づけることは不可能なので、表現者が何を表現するかは自由でなければならないということです。
自分の考えは少し違いますが、それは置いておいて誰かを傷つけることを目的とする表現、例えば誹謗中傷などを除いては、何をどう表現しても構わないという考え方はとても大事です。
一見、まったく役に立ちそうにない表現でも、誰かにとってはかけがえのないものになることがあるからです。
皆さんが何かを表現するときにも、不用意に人を傷つけないようにする必要はありますが、自分の信じる表現を貫けばいいと思うのです。
自分の考えは少し違いますが、それは置いておいて誰かを傷つけることを目的とする表現、例えば誹謗中傷などを除いては、何をどう表現しても構わないという考え方はとても大事です。
一見、まったく役に立ちそうにない表現でも、誰かにとってはかけがえのないものになることがあるからです。
皆さんが何かを表現するときにも、不用意に人を傷つけないようにする必要はありますが、自分の信じる表現を貫けばいいと思うのです。