薄利小売のススメ~最小公倍数的販促という考え方~
危険な匂いのするタイトルですが、儲けるなというわけではないです。でも、こういう考え方もありなんじゃない?というものです。
色々御託を並べていますが、「最小公倍数的販促」(私の造語。たぶん)を目指すという手もあるのではないかですか、というのが結論です。では、どうぞ。
<ターゲティングは最大公約数? 最小公倍数?>
早速ですが、ターゲットを絞る上で、「最大公約数」と「最小公倍数」という例えが使われることがあります。
数学的に言うと、「最大公約数」は複数の整数において、各整数を割り切れる数(約数)のうち、すべての整数の約数に該当しかつ最大のものを指します。
例)10と12
10=1、2、5、10
12=1、2、3、4、6、12
10と12の約数であり、最大のものは2。よって最大公約数は2。
「最小公倍数」は複数の整数において、各整数を正の数で乗じたもの(倍数)のうち、すべての整数の倍数に該当しかつ最小のものを指します。
例)5と8
5=5、10、15、20、25、30、35、40
8=8、16、24、32、40
5と8の倍数であり、最小のものは40。よって最小公倍数は40。
これを集団にあてはめて使うことがあるのですね。
まずは最大公約数的な考え方。これは多くの人に当てはまる考え方ということです。
次に最小公倍数的な考え方。こちらは正確な言い方ではなく、誰かが言いだした造語でしょう。これは個々人の考え方が集まった化学反応を指すと思ってもらえればよいかと思います。
例えば、男性と彼らの女性の好みで考えてみる場合(男性と女性を入れ替えても同じ)。
最大公約数的な考え方では、女性をあれこれカテゴリー分けし、それぞれに属す人の人数を数えます。そして最も多くの人の支持が得られた属性を「モテる女性」と認定するわけです。こういう人は多くの男性から支持されるので芸能界に進出したりします。そして世の女性がみんな彼女を目指すわけです(最近は減りましたけどね)。
逆に最小公倍数的な考え方では、女性うんぬんではなく、男性側の好みありきです。「俺はこういう子が好き」「僕はこういう子かな」などと色々好みデータを集めて、同じような好みの一定数の塊をつくり、カテゴリーとしての名前をつけます。ここに該当する女性は「何故かモテる女性」になります。要するに万人受けはしないが、「何故かモテるな~」と言われる子になります。クラスにいませんでしたか、そういう子。
なんか、多方面から石が飛んできそうな例えにしてしまいましたが、こういう感じです。
一般に、マーケティングなどは最大公約数を目指しています。出来るだけ多くの人に売ることが目的だからです。もちろんそれはそれで出来れば素晴らしいことですが、個人や少人数のグループでこれは現実味があるのでしょうか。
私は厳しいと思います。
「結果的にそうなった」のであれば素晴らしいですが、「狙ってそうする」のは精神的にも体力的にも、経済的にも時間的にもきついです。やらなくてはいけないことが莫大に増えます。
というわけで、私は最小公倍数的な考え方を好んでいますし、個人や少人数の集団はこちらのほうが効果的であると思っています。
<イノベーター理論は無視すべき!?>
ところで少し話が変わりますが、イノベーター理論というものがあるのをご存知でしょうか。これは消費者はある新商品に触れ購買する順に、
①イノベーター(2.5%)
②オピニオンリーダー(13.5%)
③アーリーマジョリティ(34.0%)
④レイトマジョリティ(34.0%)
⑤ラガード(16%)
に分けられるという理論です。
②のオピニオンリーダーと③のアーリーマジョリティの間には「キャズム」と呼ばれる深い溝があると言われます。商品はここを超えればヒットの道を歩むわけです。一般のマーケティングではこれを乗り越えるための努力が行われています。
ですが、キャズムは本当に乗り越えるべきものなのでしょうか。
そもそもイノベーター理論は普及学の一つです。この理論は「イノベーションにより生まれたアイデアや技術がどのように普及するか」を分析するものなのです。しかし、あなたは自分のコンテンツを「普及させたい」のですか? みんなが自分のコンテンツを知っていて欲しいと思っているのですか?
そうではないですよね。もちろんそういう「夢」はあっていいと思いますが、「目標」にするにはちょっと大きすぎると私は思います。
そして多くの人は、もっと些細な目的で創作を始めたのではないかと思います。「自分のコンテンツを誰でもいいから見てほしい」、「自分のコンテンツが誰かの楽しさになっていて欲しい」などではなかったでしょうか。
であるのなら、それを確実に達成する方策を考えるべきです。私はイノベーター理論のうち、①②のイノベーターやオピニオンリーダーたちにコンテンツが普及すれば十分だと思います。仮にあなたのコンテンツを購入する可能性のある人が1000人いたとして、①②のみだと実売数は160です。売上で言ったらだいぶ少ないでしょう。薄利でしかも小売です。ただし、これをしっかり実現するには、プロモーションの実施が不可欠です。とはいえ、一般に比べて頑張ってやるべきことは「コンテンツづくり」と「プロモーション」だけですからだいぶ荷は軽いです。
でも、これだけでは生計を獲得できるほどのお金にならないかもしれません。しかし自分がコンテンツをどんどん生み出せるのであれば、それをどんどん生み出すという方法があります。好きでやっていることは生産数が多くなりますから、とりあえず発信してしまえばいいと思います。そのうち、制作期間は短いが質は高いというものが出せるようになればしめたものです。
(出せない状況の人もいるでしょうが……)
つまり、薄利小売を1単位として、その単位数を増やす方向の考え方をしたらどうだろうという話です。先ほどの数を使えば、10単位出すと1600を実売したことになります。
<最小公倍数的販促>
しかし、これだとやはりじり貧な印象がぬぐえません。一般とは違うやり方で、母数を継続的に増やすことは出来ないものか。ここで「最小公倍数」の考え方が登場します。
最小公倍数は化学反応だと書きましたが、具体的に考えてみます。薄利小売のあるコンテンツAを買った人はそのコンテンツAの何かに惹かれて買ったはずです。その「何か」は別の薄利小売コンテンツBにも少し紛れています。それがきちんとアピールされていれば、その人は別の薄利小売コンテンツBも買うという連鎖が起こります。これが私の考える「最小公倍数的販促」です。
(ちなみにここでいう「何か」が洗練されるとブランドになります)
要するに、自分が生み出せる「何か」を分析し、その「何か」をコンテンツに必ず入れ込んでおくことで、1つの薄利小売コンテンツを買った人が別の複数のコンテンツの購買者になってくれるという流れです。ネズミ講みたいですけどね。
<まとめ>
最小公倍数的販促をする上で必要なことは以下です。
・自分の「ウリ」(「何か」)を分析し、見つけること。
・それをきちんとコンテンツに入れ込むこと。
・コンテンツのプロモーションでそれをきっちりアピールすること。
・コンテンツ発表間のインターバルを短くすること(一定の質は維持)。
・連鎖が起きやすい環境をつくること。
これらの具体的方法論は私もまだはっきり分かりません。すみません。精進します。
少なくとも言えるのは、「決して『楽』な道ではないですが、『無理』な道でもない」ということです。そして、これは「『辛い』道ではなく、『楽しく』することが出来る」ものであるとも信じています。
私は「苦労」が嫌いです。「苦労は買ってでもしろ」と言いますが、「苦労」を買った人は「苦労の転売」をします。しかもなかば押し売りです。苦労することで自分は頑張ったという錯覚を覚えたいだけではないのかと思うこともあります。苦労を買わずにそれと同じか、それ以上の効果を持つことを行えるかが、行動を「楽しく」するためのポイントでしょう。
実はこれもベクトルが違うだけで結構しんどいです。辛いとは違いますが、疎外感は感じます。自分でも正しいのか自信を持てませんし、四六時中「考える」必要があります。人生は苦行だなんて言いますが、確かにそうかもしれません。「楽」な道はないのでしょう。それでも、楽しくなるかそうでないかは大きな違いがあると私は思っています。だから私はこのスタンスを出来るだけとりたいと思っているのです。
最後はなんかよく分からない話になりましたが、薄利小売の掛け算という考え方をすることで、色々と荷が下りて、やることが見えやすくなることもあるのではないかというお話でございました。
ではでは!
色々御託を並べていますが、「最小公倍数的販促」(私の造語。たぶん)を目指すという手もあるのではないかですか、というのが結論です。では、どうぞ。
<ターゲティングは最大公約数? 最小公倍数?>
早速ですが、ターゲットを絞る上で、「最大公約数」と「最小公倍数」という例えが使われることがあります。
数学的に言うと、「最大公約数」は複数の整数において、各整数を割り切れる数(約数)のうち、すべての整数の約数に該当しかつ最大のものを指します。
例)10と12
10=1、2、5、10
12=1、2、3、4、6、12
10と12の約数であり、最大のものは2。よって最大公約数は2。
「最小公倍数」は複数の整数において、各整数を正の数で乗じたもの(倍数)のうち、すべての整数の倍数に該当しかつ最小のものを指します。
例)5と8
5=5、10、15、20、25、30、35、40
8=8、16、24、32、40
5と8の倍数であり、最小のものは40。よって最小公倍数は40。
これを集団にあてはめて使うことがあるのですね。
まずは最大公約数的な考え方。これは多くの人に当てはまる考え方ということです。
次に最小公倍数的な考え方。こちらは正確な言い方ではなく、誰かが言いだした造語でしょう。これは個々人の考え方が集まった化学反応を指すと思ってもらえればよいかと思います。
例えば、男性と彼らの女性の好みで考えてみる場合(男性と女性を入れ替えても同じ)。
最大公約数的な考え方では、女性をあれこれカテゴリー分けし、それぞれに属す人の人数を数えます。そして最も多くの人の支持が得られた属性を「モテる女性」と認定するわけです。こういう人は多くの男性から支持されるので芸能界に進出したりします。そして世の女性がみんな彼女を目指すわけです(最近は減りましたけどね)。
逆に最小公倍数的な考え方では、女性うんぬんではなく、男性側の好みありきです。「俺はこういう子が好き」「僕はこういう子かな」などと色々好みデータを集めて、同じような好みの一定数の塊をつくり、カテゴリーとしての名前をつけます。ここに該当する女性は「何故かモテる女性」になります。要するに万人受けはしないが、「何故かモテるな~」と言われる子になります。クラスにいませんでしたか、そういう子。
なんか、多方面から石が飛んできそうな例えにしてしまいましたが、こういう感じです。
一般に、マーケティングなどは最大公約数を目指しています。出来るだけ多くの人に売ることが目的だからです。もちろんそれはそれで出来れば素晴らしいことですが、個人や少人数のグループでこれは現実味があるのでしょうか。
私は厳しいと思います。
「結果的にそうなった」のであれば素晴らしいですが、「狙ってそうする」のは精神的にも体力的にも、経済的にも時間的にもきついです。やらなくてはいけないことが莫大に増えます。
というわけで、私は最小公倍数的な考え方を好んでいますし、個人や少人数の集団はこちらのほうが効果的であると思っています。
<イノベーター理論は無視すべき!?>
ところで少し話が変わりますが、イノベーター理論というものがあるのをご存知でしょうか。これは消費者はある新商品に触れ購買する順に、
①イノベーター(2.5%)
②オピニオンリーダー(13.5%)
③アーリーマジョリティ(34.0%)
④レイトマジョリティ(34.0%)
⑤ラガード(16%)
に分けられるという理論です。
②のオピニオンリーダーと③のアーリーマジョリティの間には「キャズム」と呼ばれる深い溝があると言われます。商品はここを超えればヒットの道を歩むわけです。一般のマーケティングではこれを乗り越えるための努力が行われています。
ですが、キャズムは本当に乗り越えるべきものなのでしょうか。
そもそもイノベーター理論は普及学の一つです。この理論は「イノベーションにより生まれたアイデアや技術がどのように普及するか」を分析するものなのです。しかし、あなたは自分のコンテンツを「普及させたい」のですか? みんなが自分のコンテンツを知っていて欲しいと思っているのですか?
そうではないですよね。もちろんそういう「夢」はあっていいと思いますが、「目標」にするにはちょっと大きすぎると私は思います。
そして多くの人は、もっと些細な目的で創作を始めたのではないかと思います。「自分のコンテンツを誰でもいいから見てほしい」、「自分のコンテンツが誰かの楽しさになっていて欲しい」などではなかったでしょうか。
であるのなら、それを確実に達成する方策を考えるべきです。私はイノベーター理論のうち、①②のイノベーターやオピニオンリーダーたちにコンテンツが普及すれば十分だと思います。仮にあなたのコンテンツを購入する可能性のある人が1000人いたとして、①②のみだと実売数は160です。売上で言ったらだいぶ少ないでしょう。薄利でしかも小売です。ただし、これをしっかり実現するには、プロモーションの実施が不可欠です。とはいえ、一般に比べて頑張ってやるべきことは「コンテンツづくり」と「プロモーション」だけですからだいぶ荷は軽いです。
でも、これだけでは生計を獲得できるほどのお金にならないかもしれません。しかし自分がコンテンツをどんどん生み出せるのであれば、それをどんどん生み出すという方法があります。好きでやっていることは生産数が多くなりますから、とりあえず発信してしまえばいいと思います。そのうち、制作期間は短いが質は高いというものが出せるようになればしめたものです。
(出せない状況の人もいるでしょうが……)
つまり、薄利小売を1単位として、その単位数を増やす方向の考え方をしたらどうだろうという話です。先ほどの数を使えば、10単位出すと1600を実売したことになります。
<最小公倍数的販促>
しかし、これだとやはりじり貧な印象がぬぐえません。一般とは違うやり方で、母数を継続的に増やすことは出来ないものか。ここで「最小公倍数」の考え方が登場します。
最小公倍数は化学反応だと書きましたが、具体的に考えてみます。薄利小売のあるコンテンツAを買った人はそのコンテンツAの何かに惹かれて買ったはずです。その「何か」は別の薄利小売コンテンツBにも少し紛れています。それがきちんとアピールされていれば、その人は別の薄利小売コンテンツBも買うという連鎖が起こります。これが私の考える「最小公倍数的販促」です。
(ちなみにここでいう「何か」が洗練されるとブランドになります)
要するに、自分が生み出せる「何か」を分析し、その「何か」をコンテンツに必ず入れ込んでおくことで、1つの薄利小売コンテンツを買った人が別の複数のコンテンツの購買者になってくれるという流れです。ネズミ講みたいですけどね。
<まとめ>
最小公倍数的販促をする上で必要なことは以下です。
・自分の「ウリ」(「何か」)を分析し、見つけること。
・それをきちんとコンテンツに入れ込むこと。
・コンテンツのプロモーションでそれをきっちりアピールすること。
・コンテンツ発表間のインターバルを短くすること(一定の質は維持)。
・連鎖が起きやすい環境をつくること。
これらの具体的方法論は私もまだはっきり分かりません。すみません。精進します。
少なくとも言えるのは、「決して『楽』な道ではないですが、『無理』な道でもない」ということです。そして、これは「『辛い』道ではなく、『楽しく』することが出来る」ものであるとも信じています。
私は「苦労」が嫌いです。「苦労は買ってでもしろ」と言いますが、「苦労」を買った人は「苦労の転売」をします。しかもなかば押し売りです。苦労することで自分は頑張ったという錯覚を覚えたいだけではないのかと思うこともあります。苦労を買わずにそれと同じか、それ以上の効果を持つことを行えるかが、行動を「楽しく」するためのポイントでしょう。
実はこれもベクトルが違うだけで結構しんどいです。辛いとは違いますが、疎外感は感じます。自分でも正しいのか自信を持てませんし、四六時中「考える」必要があります。人生は苦行だなんて言いますが、確かにそうかもしれません。「楽」な道はないのでしょう。それでも、楽しくなるかそうでないかは大きな違いがあると私は思っています。だから私はこのスタンスを出来るだけとりたいと思っているのです。
最後はなんかよく分からない話になりましたが、薄利小売の掛け算という考え方をすることで、色々と荷が下りて、やることが見えやすくなることもあるのではないかというお話でございました。
ではでは!
<追記 2016/06/25>
こちらの記事では、いくつかの商品を重ねようという話ですが、同じ商品でも流通の経路を複数持つことで同じような流れを実現できるのではないかと考えた新しい記事を書いています。ご興味ある方はこちらもご覧ください。
○生産と消費から薄利小売を考える
こちらの記事では、いくつかの商品を重ねようという話ですが、同じ商品でも流通の経路を複数持つことで同じような流れを実現できるのではないかと考えた新しい記事を書いています。ご興味ある方はこちらもご覧ください。
○生産と消費から薄利小売を考える