日刊言の葉・Vol.17「無価値者の価値」
「自分は価値のない人間だ」とか「価値あることなんて一つもできない」という思いにとらわれることってありますよね。でも、それは本当なんでしょうか。無駄な何の意味もないものを生み出すほど自然界は余裕があるのでしょうか。今回はそんなお話を。
「人の役に立つ木は、すぐに切られる。使い道がなかったからこそ、くだんの木は生き残り大木になれた。」
(朝日新聞2015/11/23 30面 「今こそ荘子」より)
結論から言ってしまえば、無価値なものを生み出すほど自然界には余裕がないので、生まれてきたものすべてには本来価値があります。しかし、それをどう使うかは価値を与えられた本人次第なので、使い方を誤れば結果的に何も生み出さないこともあるというだけです。しかもそれはずっと続くものではなく、今から使い方を改めれば価値ある本来の使い方ができるものです。
紹介した言葉は荘子の言葉の説明です。ちょっと説明しますと、もし有用な木であれば、有用な用途で使われることで早々と姿を消していきますよね。人間にとって価値があるからです。一方で何もとりえのない木は放っておかれます。利用価値という意味では確かに無価値でしょう。
でも、それが何十年、何百年となれば話が違ってきます。樹齢○○年の大木が~なんてテレビ番組などで見ることがありますが、利用価値がなく放っておかれたものが高樹齢の木として人々に崇拝されるようになったりします。そこまでいかなくても、そこに木があるから助かるということは生活においてよくあることです。駐車時の目印、登山中に迷わないためのテープをくくるところ、木が生えていることでの保水力、木が生み出す生態系。あげたらキリがないぐらいたくさんあります。
このような木と同じように、人には様々な価値を生む「もと」を持っています。何もスキルがなくても、そういう経験自体を価値として使うことだってできるのです。
もしかしたら、世間的、社会的な尺度ではあなたは無価値なのかもしれません。でも、誰かにとっては価値があります。それだけでもあなたが生きている理由はあって、価値があると思うのですがいかがでしょう?
ぜひ、自分をどう使えば価値ある存在として自分に自信が持てるだろうかということを考えてみてください!
紹介した言葉は荘子の言葉の説明です。ちょっと説明しますと、もし有用な木であれば、有用な用途で使われることで早々と姿を消していきますよね。人間にとって価値があるからです。一方で何もとりえのない木は放っておかれます。利用価値という意味では確かに無価値でしょう。
でも、それが何十年、何百年となれば話が違ってきます。樹齢○○年の大木が~なんてテレビ番組などで見ることがありますが、利用価値がなく放っておかれたものが高樹齢の木として人々に崇拝されるようになったりします。そこまでいかなくても、そこに木があるから助かるということは生活においてよくあることです。駐車時の目印、登山中に迷わないためのテープをくくるところ、木が生えていることでの保水力、木が生み出す生態系。あげたらキリがないぐらいたくさんあります。
このような木と同じように、人には様々な価値を生む「もと」を持っています。何もスキルがなくても、そういう経験自体を価値として使うことだってできるのです。
もしかしたら、世間的、社会的な尺度ではあなたは無価値なのかもしれません。でも、誰かにとっては価値があります。それだけでもあなたが生きている理由はあって、価値があると思うのですがいかがでしょう?
ぜひ、自分をどう使えば価値ある存在として自分に自信が持てるだろうかということを考えてみてください!