日刊言の葉・Vol.10「小説の存在意義」
私たちを様々な感情に導いてくれる小説。そんな小説の存在意義とはなんでしょうか。娯楽なのか、何かを伝える媒体なのか、はたまたまったく別のものか。
今回はそんな存在意義にたいする一つの回答です。
今回はそんな存在意義にたいする一つの回答です。
美魚「わたしの好きなある作家は言いました。『小説が書かれ、そして読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からである』。本を読んでいる間は、その主人公になれる。みんなと賑やかに過ごして、痛みや悲しみのない人生を送ることもできる」
(リトルバスターズ! 第12話より)
このある作家とは、北村薫という直木賞もとったことのある作家のことを指しています。デビュー作の「空飛ぶ馬」の単行本にこの言葉はあるそうです。
私自身は小説の存在意義は人によるという元も子もない考えなのですが、こういう考え方も「なるほどなあ」と思います。
自分が少なくとも今は体験できない人生を疑似体験できる場としての小説。書く人も頭で同じことをしますから、本質的に違いはないでしょう。
まあ、小説は書く人も読む人も広い意味での救いを求めているのでしょうね。今に飽きたらず、もっと別の世界へ行きたいという欲求を満たすという意味での救い。
そういう意味ではどんな小説を好むかやジャンルの好き嫌い、そもそも読むかなどでその人の人となりをある程度知ることができるのかもしれません。
小説性格診断法なんかがあったら面白いかもです(笑)
私自身は小説の存在意義は人によるという元も子もない考えなのですが、こういう考え方も「なるほどなあ」と思います。
自分が少なくとも今は体験できない人生を疑似体験できる場としての小説。書く人も頭で同じことをしますから、本質的に違いはないでしょう。
まあ、小説は書く人も読む人も広い意味での救いを求めているのでしょうね。今に飽きたらず、もっと別の世界へ行きたいという欲求を満たすという意味での救い。
そういう意味ではどんな小説を好むかやジャンルの好き嫌い、そもそも読むかなどでその人の人となりをある程度知ることができるのかもしれません。
小説性格診断法なんかがあったら面白いかもです(笑)