ちょっとした自伝<幼稚園生編>
私は小さい頃から動きがのろく、みんなに合わせてなにかをするのが苦手でした。そのため、幼稚園に通うのが辛かったという記憶ばかりがこの時期は残っています。
幼稚園以外でも親にくっついて行動することが多く、アスレチックなどで「遊んできな」と言われても、高いところが苦手なのも手伝ってすぐ親のところに駆け込んでいました。
幼稚園で特にしんどかったのはお弁当の時間と休み時間ですね。お弁当を他の子はバクバク食べるのに私はゆっくり食べます(早く食べられないんです)。なので私が食べ終わる頃には他の子は終わってしまっていてとんでもない浮き具合でした。また、給食のときには片付けもあるので気持ち的にせかせかしていました。とはいえ心は急いでいても、体が受け付けない(急いでかきこむとオエッってなりますよね)のでしんどい思いをしていました。あと牛乳がびんだったのですが、手先が不器用なので開けられない開けられない。これも嫌でしたね~。
それに、今よりさらに人見知りが激しくて自分から会話することが出来なかったので、友達もほとんどいませんでした。そのため休み時間は園庭を一人ふらふら。遊びというか暇つぶしですよね、今考えると。
書いていて思い出しましたが、着替えも遅かったですね~。誰もいなくなった教室で泣きべそをかきながら着替えをしているシーンをいまだに覚えています。
そんなんですから幼稚園に行くのがただただ憂鬱でした。年中から年長に上がるときに好きだった先生から変わってしまったことで拍車がかかったと記憶しています。また、当時から怒られることに非常に敏感で、怒られてしまうと短期での復調が難しいぐらい精神的にダメージを負うという傾向がありました。当時は特に動きがのろいこと、集団での活動が苦手(ゆえに体育が嫌いでしたね)なこと、また美術の先生が何故かやたら怖く感じていたことなどでどうしても注意されてしまい憂鬱度をひたすら高めていたわけです。
小さい頃って鼻血がよく出ると思うのですが、幼稚園~小学一年ぐらいまで私もよく出していました(たぶん鼻のほじりすぎ)。鼻血が出ると幼稚園に行かなくて済むのではと考えて、鼻血出ろと思っていた記憶があります。
とはいえ、小さかったですから行かないという選択肢は用意されておらず母に叱咤されながら幼稚園に通っていました。鼻血のときも母に車で送られました(笑)幸いなことに何とか行ききることは出来て、無事卒園しました。今思えば当時から私は相当「変」でしたね(幼稚園に行くのが憂鬱だったという人に今のところあったことがありません)。
こういうところから、レールからやや外れている人に惹かれるのかもしれません。シンパシーのようなものを感じているのかも。
幼稚園生編はこんなものでしょうか。記憶が少ないのでこれくらいしか書けません。
次回は小学生編です!
幼稚園以外でも親にくっついて行動することが多く、アスレチックなどで「遊んできな」と言われても、高いところが苦手なのも手伝ってすぐ親のところに駆け込んでいました。
幼稚園で特にしんどかったのはお弁当の時間と休み時間ですね。お弁当を他の子はバクバク食べるのに私はゆっくり食べます(早く食べられないんです)。なので私が食べ終わる頃には他の子は終わってしまっていてとんでもない浮き具合でした。また、給食のときには片付けもあるので気持ち的にせかせかしていました。とはいえ心は急いでいても、体が受け付けない(急いでかきこむとオエッってなりますよね)のでしんどい思いをしていました。あと牛乳がびんだったのですが、手先が不器用なので開けられない開けられない。これも嫌でしたね~。
それに、今よりさらに人見知りが激しくて自分から会話することが出来なかったので、友達もほとんどいませんでした。そのため休み時間は園庭を一人ふらふら。遊びというか暇つぶしですよね、今考えると。
書いていて思い出しましたが、着替えも遅かったですね~。誰もいなくなった教室で泣きべそをかきながら着替えをしているシーンをいまだに覚えています。
そんなんですから幼稚園に行くのがただただ憂鬱でした。年中から年長に上がるときに好きだった先生から変わってしまったことで拍車がかかったと記憶しています。また、当時から怒られることに非常に敏感で、怒られてしまうと短期での復調が難しいぐらい精神的にダメージを負うという傾向がありました。当時は特に動きがのろいこと、集団での活動が苦手(ゆえに体育が嫌いでしたね)なこと、また美術の先生が何故かやたら怖く感じていたことなどでどうしても注意されてしまい憂鬱度をひたすら高めていたわけです。
小さい頃って鼻血がよく出ると思うのですが、幼稚園~小学一年ぐらいまで私もよく出していました(たぶん鼻のほじりすぎ)。鼻血が出ると幼稚園に行かなくて済むのではと考えて、鼻血出ろと思っていた記憶があります。
とはいえ、小さかったですから行かないという選択肢は用意されておらず母に叱咤されながら幼稚園に通っていました。鼻血のときも母に車で送られました(笑)幸いなことに何とか行ききることは出来て、無事卒園しました。今思えば当時から私は相当「変」でしたね(幼稚園に行くのが憂鬱だったという人に今のところあったことがありません)。
こういうところから、レールからやや外れている人に惹かれるのかもしれません。シンパシーのようなものを感じているのかも。
幼稚園生編はこんなものでしょうか。記憶が少ないのでこれくらいしか書けません。
次回は小学生編です!